私の育った昭和の風景はこうだ。
・母はずっとフルタイムで働いて炊事も担当。父は帰宅すると上座に座って晩酌、母がお酒を注ぐ。食事の後片付け、階段・廊下・前庭の掃除は小学生の頃から私の役割。その他の部屋の掃除は姉が担当。
・休日に親戚やお客さんが来た時も同じ。父とお客さんは上座に座り、母・姉・私のいずれかが緑茶を入れて出す。母は料理を用意して姉と私が手伝う。父と男性客は座って飲んでいる。女性客は少し手伝ってくれる。
つまり女性は召使い。米国留学中に知り合った韓国人女子学生も同じだと言っていた。
同じく米国留学中に日本のキャリア官僚の女性がいた。男女共同参画社会の担当で、ニューヨークで知り合った日本人のエリート男性と結婚した。素敵なマンションで新生活をスタートさせ、私は友人たちとホームパーティに招かれた。
私の友人が台所に立って料理を運び、男性たちは応接間にどっかりと座ったまま。彼女を手伝うのは女性のみ。私よりも若く男女平等の意識が最も高いはずの人々の間でも、同じなのかと失望した。
国立市のイベントでの投稿を見ると、この風習はいまだに続いているらしい。
職場の飲み会でもお酌や料理の取り分けを強要され、お客さんの相手などホステスのような役割を押しつけられる人もいる。
一方で男性は、体質的にアルコールを摂取できなくても、酒を飲むようプレッシャーを受けることもある。
その逆でこんな体験をした女性もいる。
幸いなことに私の周囲には紳士的な方が多く、今ではお酌や料理の取り分けを強要されることはない。儒教国では年上のほうがエライという感覚もあり、自分が中年になったことも関係していると思う。