ベルリンフィルのブラームス交響曲第四番を聴くため、最前列中央でサイモン・ラトルの真後ろの席を確保、週末に欧州へとんぼ返りした。あるいはブラームスがまさにこの作品を作曲した場所、オーストリアのMürzzuschlagを訪れ、現地の山並みを見て「ああ、そうか」と納得せざるを得なかった。
その先のペルチャッハではブラームスの散歩道を行き、ヴェルター湖を眺める展望台がまさにこの地で彼が作曲した交響曲第二番とバイオリン協奏曲を聴ける仕掛けになっていることに感動。約20年という歳月をかけて第一番をついに書き上げて解放感を味わい、自然の素晴らしさに感動したあまり3カ月で第二番を一気に仕上げた気持ちを追体験した。
こういう話をすると必ずと言っていいほど聞かれる。「ええっ、すごいですね。なにか楽器を弾かれるんですか?」
たしかに私は子供の頃にオルガンを習い、高校の部活でギターを弾いたが、少しやっただけ。逆に聞きたいのだが、どうしてそういう質問になるのか。クラシック音楽鑑賞を趣味にするには、ピアノとかバイオリンを自分でも演奏しないといけないのか?
これがほかの趣味、例えば阪神タイガースを半世紀近く応援してきたとか、最近は西武ライオンズのファンクラブに入ったとか言っても、「ええっ、すごいですね。野球をプレーするんですか?」と聞かれたことは一度もない。
そもそも楽器を弾くことにはあまり興味はなく、むしろクラシック音楽の鑑賞にはデメリットになると私は考えている。
楽器を自分で演奏して上を目指すとなると楽器や部品、レッスン、発表会の衣装などにかかる費用が青天井になる。結果として一流オーケストラのチケット代に回せる予算が減る。
しかも中高年で始めたところで、有名なプロの域に達するのは不可能だろう。せっかく素晴らしい演奏を聴きに行っても「ああ、自分はダメだ」と思ってしまうことが容易に想像できる。
むしろ客の立場に徹して高みの見物をすることによって「やっぱベルリンフィルとウィーンフィルは別格だな。日本のオーケストラは話にならない」「ティーレマンはすごい。ブラームスならペトレンコよりはるかにいい」といった、高レベルの演奏のレビューを純粋な気持ちでできる。
私も若い頃は日本のオーケストラも楽しめたのだが、欧州で演奏を聴く機会が増えてから、もはや日本の演者では満足できなくなった。ほとんど欧州への留学経験がなく、日本に閉じこもっている二流、三流演者たちはプロ意識や常識に欠ける発言や態度も多い。
なんちゃって感と言えば、米国ドラマ"And Just Like That..."(Sex and the Cityの続編)で主人公キャリーが「日本から送ってもらった着物」を着て寿司を食べるシーンがある。なんだよこれ、と思うほど趣味が悪い。日本のクラシック音楽コミュニティはこれと相似の関係にある。
だからこそ樫本大進さんは10代前半でドイツに渡り、HIMARIさんも自分に合った海外経験を積んでいるのだろう。やはり欧州のクラシック音楽は欧州が本場であり、日本のクラシック音楽界隈は寿司で言えば、エビフライとアボガドをネタにしてソースで味つけしたカリフォルニアロールに過ぎない。
楽器演奏の話に戻ると、そもそも誰かが作曲した楽譜通りに演奏するという点において非常に受け身なプロセスであり、それも私は好きではない。料理にしてもレシピを見てその通りにやるのではなく、食材を買ってきて素材を生かす方法を自分で考える調理しか私はやらない。レシピを使った料理は油や砂糖が必ずと言っていいほど出てくるので、調味料を使いすぎてかえって不健康になりがちだ。ただ外食をしておいしかった際に、食材の組み合わせや盛り付けを自宅でも真似してみることはある。
クラシック音楽鑑賞の仕方も、おかしな調味料を加えることなく、自分の好きな作曲家がインスピレーションを得た場所という新鮮な食材を仕入れてそのまま味わう。あるいはベルリンフィルやウィーンフィルといった一流シェフの料理を堪能するのが醍醐味だと思う。
このため「楽器を演奏するんですか?」と言うのは愚問なのだ。