先日紹介したノンフィクションは主人公のKGB職員がロンドン転勤となり、いよいよ佳境に入ってきた。分厚い本の3分の1まで読み進み、興味深い事実の数々にアンダーライン引きまくりだ。
このような大作をひとつの書評でまとめてしまうのはもったいない。備忘録もかねて、ええっと驚く内容を引き続きご紹介したい。
・この本はベルリンの壁に絶望したKGB職員がMI6にリクルートされて二重スパイになるという話だが、逆パターンもあった。英国最大の裏切り者はKim Philby。MI6職員として、第二次大戦をはさみ約30年にわたってKGBに機密情報を垂れ流した。
・さらに驚くことに、サッチャー時代の労働党党首Michael FootもKGBの求めに応じて情報を提供し、報酬を受け取っていた。伝えた内容は、親ソ連の英国政治家や労働組合幹部の名前、KGBによる黒海への接待に誰を招待すべきか、労働党の内部陰謀の詳細など。またKGBが英国の軍縮を促す内容の原稿を下書きし、Footはそれに手を入れて英国雑誌Tribuneに掲載した。(こういう話を聞くと、他国からの影響という意味で、日本の政治家も思わず数人の顔が浮かんでしまう。)
・CIA職員のAldrich Amesは仕事が思ったより退屈で評価されず、給料が安く、人生に行き詰っていると感じていた。トルコに赴任中、CIAはプラハの春を意味する「1968年を忘れるな」と書いたポスターを作成。トルコ国民がソ連に怒っているという印象を与えるため、数百枚を用意して街中に貼るようAmesに指示した。やる気のない彼はポスターをゴミ箱に捨てて飲みに行った。それでも上司は"satisfactory"(クビにならない最低レベル)の勤務評定をAmesに与えた。
・KGBでは職員の離婚は左遷の対象となるが、それでも離婚に踏み切る者は結構いた。もともと愛情というより、お互いの都合によって結婚したために、うまく行かなくなるパターンが多い。
主人公も同じパターンで離婚して閑職に追いやられたが、この時間を利用して英語を学習してイギリス駐在につなげた。
このほか印象的なのは、MI6による主人公への対応だ。数十年のスパンで考え、彼のモスクワ勤務中など監視が厳しい時期には活動を休止した。それでも万一の場合に備えて、彼がロシアからフィンランド経由でイギリスに亡命する極秘計画を立て、誰にもわからないような方法で定期的にリハーサルを行っていた。
ここで驚愕なことに、フィンランド当局はソ連からの亡命者を強制送還することもあった。ロシアと長い国境で接しているにもかからわず、ウクライナほどNATO問題や領土問題になっていないということは、ソ連時代からロシアと特別な関係があるからなのか。1917年にフィンランドはロシアから独立したが、その前にはスエーデンの一部だったため、今でもスエーデンを牽制するためにもロシアと何らかの取引があるのかも知れない。(フィンランドとスエーデンはNATO非加盟。)
さらに感じるのは、二重スパイになる人物の性格的な特徴である。理想主義でかなり極端な白黒思考、勧善懲悪の妄信、国家という枠組みへの固執。ソ連やKGBの腐敗や息の詰まる環境はもちろん理解できるが、だからと言ってイギリスは理想郷なのだろうか。上院は今でも選挙制ではなく紹介による会員制クラブであり、それでも下院の決定を覆すこともある。これのどこが民主主義なのか。
ソ連の機密情報をMI6に提供することによって、こうした問題が解決するわけではない。イギリスをかいかぶり、MI6の最高責任者から感謝状をもらうことで自己承認欲求や帰属意識を満たす。
どこかの組織からもらうお墨付きがアイデンティティーとなり、自分の頭で考える独立した人間ではなく、最終的には他者の奴隷であることに変わりはない。まあ、これは多かれ少なかれ、政府機関や大企業で働く人々に共通する特徴ではある。
いずれにせよ、この本はスパイの内幕というだけでなく、ジャンルを問わず非常に困難なことに取り組むうえでの心構えとして参考になる。