著者は人類学者で、私の母校ロンドン・スクール・オブ・エコノミストのデビッド・グレーバー教授。かつてはイエール大学で教鞭を取っていたが追い出されて英国に渡り、昨年コロナ禍のイタリアで59歳で死去した。
あまりにも真実を語ったがゆえに、このような展開になってしまったのではないかと想像するほど、彼の著書「ブルシットジョブ」は核心を突いている。
先進国のホワイトカラーの約4割は、自分の仕事がブルシット(ばかばかしい)と感じている。形式的な電子メールや会議、誰も実行しない戦略の作成、誰も読まない報告書の発行といった価値を生まない作業だけでなく、かえって世の中の害になる仕事もある。
戦争がなければ軍隊は要らないが、ある国に軍があるという理由で、他の国も軍を持つ。同じように、競合他社に企業弁護士やロビイストがいるので、わが社も雇うといった具合だ。だが社会全体でみれば、軍需産業やタバコ会社のロビイストは害にしかならない。
ファッションや美容業界は、科学的な健康基準よりもはるかに痩せたモデルを登場させ、写真を加工して非現実的な美の基準を作り上げる。そして消費者に現実ではダメだから、こうなるために〇〇を買いなさいと宣伝する。これもブルシットジョブの一例である。
ブルシットジョブを持つ人は、自分の持つ仕事が無意味で有害ですらあることに罪悪感を感じる。その罪悪感の代償として高い給料が支払われる。それとは反対に、清掃、ゴミ収集、介護といった本当に必要な職業は、罪悪感を伴わないため給料が安い。
著者は必要性と高収入の両立する数少ない職業の例として、医師を挙げる。多くの医師は確かにそうだとは思うが、必要のない薬を処方して、かえって患者に害を与える医者もいる。例えば、医療界全体で高血圧の定義を変えて患者を増やす、不眠を解決せずに睡眠薬を出し続けるなど。
大組織の勤続年数が長くなるほど、ブルシットジョブ経験者の割合は高くなる。著者は勤続30年以上の社員から、ブルシットジョブの経験がないという話を聞いたことがない。
そう考えてみると、私にもあてはまる。昇進すれば、やりがいのある仕事が待っていると思っていた。昇進した直後にはそうした時期もあったが、やがて無意味で非生産的な作業が押し寄せて最後の1年は90%を占めるようになり、意味のある仕事は10%に過ぎなかった。
現在では老後資金の目途がついて悠々自適の生活を送っている。お金のために働く必要はなく、仕事をするならブルシットジョブはありえない。
仕事をして報酬が発生すると、どうしても利害関係が生まれて自由な発言が制限される。このような状況では、問題を正しく認識することが難しい。私は世の中の問題点について利害関係なしで100%本音を語ることで、社会がいい方向に行けばよいと考えている。
