2021年7月22日木曜日

オリンピックの意義とは?

 国民の約8割が反対する中、菅首相のゴリ押しで開催に至った東京五輪。あらためてオリンピックの意義を考えてみたい。 

 菅首相や招致に尽力した猪瀬元都知事など、1964年の東京五輪をリアルタイムで見た層は異口同音に言う。スポーツ選手の見事な技や懸命な姿に感動した、と。

 私は当時まだ生まれておらず、初めて本格的に見たオリンピックはモントリオール大会だった。ルーマニアの体操選手コマネチの演技に目を見張り、また競泳に夢中になり将来は水泳のオリンピック選手になりたいと思った。今でも水泳は続けているので、確かにスポーツを楽しむきっかけになっている。

 ただオリンピック自体は健康増進という運動本来の目的からはややずれている。病気予防や体調管理が目的であれば、1日30分程度の有酸素運動など適度な量の運動がベストだが、オリンピックとなると練習や競技のやりすぎでケガをする選手も多い。

 五輪の目的は選手の健康というより、跳躍や回転、剛速球といった離れ業で観衆を魅了することであり、その点でサーカスと似ている。

 さらには国同士の戦いであり、母国の選手が活躍してメダルを取ることで、自分が勝ち組になった気分を味わうことも可能だ。テレビの前に座っているだけで、血のにじむような努力をしてきた選手の成果にタダ乗りできる。

 首相や大統領など国家という組織の管理職からすれば、スポーツ選手の活躍にタダ乗りして不満分子にも高揚感を与え、自分の部署全体に連帯感を持たせるツールとして使える。米国の組織で年1回行うオフサイト、日本企業で言えば社員旅行や飲み会とも似たような役割を期待できる。

 ただ今回の東京五輪に関しては、コロナ禍での強行、組織委員会の運営のずさんさばかりが目立つ。私は小山田圭吾も小林賢太郎も知らなかった。もっと国民的に有名でスキャンダルのないアーチスト、例えばユーミンや宮本亜門らがいるだろうに。 

 今の首相は社員が行きたくないと言っている社員旅行に、「自分が過去に行ってよかったから」と言って、会社の経費を使って嵐の中を無理矢理に連れて行く社長のような感じだ。