プーチン大統領の心理を推測するYouTube動画が流行っている。
益田裕介医師は「精神科医は診察したことのない人の精神状態を言ってはいけない、というルールがある」と前置きしたうえで、一般的に権力者の置かれた立場から生じる心理を解説している。
同じく精神科医の樺沢紫苑氏はこのルールを完全無視。「顔の筋肉が動かず表情が乏しいため、精神状態がヤバい」と言う。
だが美容外科医の高須幹弥氏は、表情筋の動きが制限される理由として「プーチンは明らかにボトックス、ヒアルロン酸注射などのプチ整形をしている」と説明している。
しかしながら、プーチン氏の生い立ちによる深層心理については誰も語っていない。
ロシア政府の公式発表によれば、プーチン大統領は1952年10月7日、当時41歳だった両親の元にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)で生まれた。
だが先日紹介したロシア専門家の著書、最近の女性週刊誌、ドイツ紙の報道などによればこうだ。
プーチンは1950年10月7日、グルジア女性(当時24歳)とロシア人既婚男性の婚外子として、ロシア・ウラル地方の村で生まれた。その後、女性はプーチン少年を連れて別の男性と結婚。夫はプーチンを疎んじたため、プーチンは女性の両親に預けられた。だが高齢の祖父母は子育てができず、プーチンが9~10歳の頃にレニングラードにいる遠い親戚(=公式にはプーチン生みの親とされる夫婦)に養子に出された。
プーチン少年はグルジアの小学校に3年ほど通い、ロシア語ができなかった。このため、養父母はプーチンの出生届を2年若く、つまり1952年10月7日に変えて役所に提出し、レニングラードの地元小学校の1年に入学させた。
エリツィンはプーチンを後継者に選んだ際に、新大統領が婚外子として生まれ、最初の住民登録がロシアではなくグルジアだったことで、大統領選で不利に働くのを恐れ、プーチンの出自は極秘となった。この件について取材していたロシア人ジャーナリスト、ついでイタリア人ジャーナリストは死亡した。
就学前のプーチンを知る人は皆無であることから、プーチン養子説は事実ではないかと言われている。
そのように仮定して、プーチン氏の深層心理を探ってみたい。
9歳と言えば、私が最初にポンペイ展を見学した年齢である。世界の歴史を理解し、ほぼ大人に近い感覚を持っていた。10歳で引越のため転校したが、最初に住んだ地域と小学校のほうがはるかに印象に残り、自分の人格形成に影響を与えている。
私の体験から推測するに、プーチンはグルジアに本能的な愛着やアイデンティティーを感じている。だが生みの親から捨てられ、故郷を語ることすらタブーになっている。
養父母は第一子を出生直後に亡くし、第二子はナチスドイツによるレニングラード占領中(爆撃+ライフラインの断絶により市民の25%が死亡)の疎開先でジフテリアに感染し、5歳で死亡した。彼らは40歳を過ぎてからプーチンを養子に迎え入れた。
家庭環境としてはヤンキーで不倫に走った、あるいは既婚男に騙された母親+新しい男という劣悪な両親から、人生経験と分別のある40代の両親に移された。最初の家庭では、継父から暴力を受けたかもしれない。だが養父母はすでに二人の息子に先立たれ、ようやく迎え入れたプーチン少年を大切に育てたに違いない。
9歳になっていきなり新しい環境に放り出され、しかもロシア語に不慣れとは言え、すでに大人の感覚を持つ年齢で1年生のチイチイパッパをやらされる。当然ながら勉強にかなり余裕があり、教わる内容はとっくにマスターしている。その一方で、グルジアの田舎よりもソ連第二の都市レニングラードのほうが、さまざまな面でレベルが高いと感じたかもしれない。
複雑な家庭環境からプーチン少年はいったん不良に走ったものの、自分よりも強い相手を投げ飛ばす目的ではじめた柔道で生涯の恩師に出会い、武道の礼節を学び導かれた。それがレニングラード大学進学→KGB就職→大統領という出世街道への道筋となった。
こうして故郷グルジアよりも、新天地ロシアでまともな家庭や生活を手に入れ、プーチンは母国に恩を感じるようになった。そして祖国への忠誠を誓うべくKGBに就職する。
KGBに関するノンフィクションによれば、KGBは親戚一同みなKGB関係者といった環境だという。KGB職員向けのスパや休暇施設もあり、公私をともにする家族のような関係である。なさぬ仲で育ったプーチンにとって、こうしたぬくもりもKGBの魅力だったのかもしれない。
しかしながら、物心ついた頃を過ごしたグルジアが故郷であることに変わりはない。五輪をソチという、グルジアのすぐ近くにある都市で開催したのも、こうした心理があったのだろうか。
さらにはロシア+周辺諸国の一体化という概念にこだわるのも、プーチンの心の拠り所となる二つの祖国がともにあってほしい、という願いなのかもしれない。
ウクライナ戦況に関する最近の演説でも、彼は自らがロシアの多様な民族の一員であると熱く語っている。以下、英訳の字幕を引用:
"I can hardly stop myself from saying: I am a Lak, a Dagestani, a Chechen, an Ingush, a Russian, a Tatar, a Jew, a Mordovian, an Ossetian...It is impossible to name all of the more than 300 nationalities and ethnic groups that live in Russia...I am proud to be part of powerful and strong multinational people of Russia."