2022年2月25日金曜日

「プーチン」三部作 木村汎著 読書メモ

  北大名誉教授でロシア専門家の著者が、これでもかとプーチンを深掘りした大著。「人間的考察」「内政的考察」「外交的考察」の三冊本で、各冊の厚さが5~6センチもある。

 図書館でざっと目を通したところ、特に「人間的考察」がメチャクチャ面白い。印象に残った内容をメモしておくと。。

・プーチンはソ連の庶民家庭で育つ。両親と3人暮らしで自宅は20平米のワンルームのみ。台所とトイレは他の家庭と共用、風呂なし。(2人の兄はプーチンが生まれる前に死亡。)

・住宅事情が悪く子供時代は道路で友達と過ごす。小柄で痩せていたため、大柄で強い子供にいじめられた。

・強くなるために試行錯誤を重ね、柔道をはじめる。自分は小さくても、相手の強さを使って投げ飛ばすことができるからだ。「世の中は強い者が勝つ」「強さこそ唯一の正義」「相手の強さを利用して勝つ」というプーチン哲学はこうして培われた。

・現在も身長168センチだが、あらゆるスポーツをやって体を鍛えてきた。ホッケーがいちばん好き。分厚い胸板を披露したがり、公開されている写真以外にも数多くの写真をおかかいのカメラマンが撮っている。

・同年代の多くのソビエト男性と同様、家父長制で男尊女卑的な家庭観を持つ。離婚した妻と婚姻時代、幼い長子を連れて妊娠7カ月だった妻が荷物を持ち、エレベーターのない集合住宅の6階にあった自宅まで階段をのぼっていた。だが「家のことは妻の仕事」という理由で荷物を持ってあげることもしなかった。彼女に暴力をふるうこともあった。

・その一方で、気に入った女性を不倫に誘った。FSB(KGBの後継)長官時代には、美人記者の取材依頼に応じる形で、モスクワにできたばかりの寿司店を貸し切りにして二人で夕食を取った。だが仕事の話ではなく私的な話題になり、休暇をともにしたいとプーチンが語ったが、彼女は断った。それ以来、彼女の自宅マンション近くで爆弾が破裂する事件があった。女性記者は偶然にも助かったが、身の危険を感じて海外に移住した。

・ヒラリーはフェミニストであり、また反プーチンの民主化デモに賛意を示したためか、プーチンは彼女が大嫌い。(ヒラリーもプーチンには悪い印象しかなく、自著で「地下鉄で股を大きくあけて、傍若無人にどっかり座るチンピラのようだ」と述べている。)

・ただしメルケルとは円滑なコミュニケーションを取る。プーチンはKGB時代に東ドイツ駐在でドイツ語が堪能、メルケルは東ドイツ育ちでロシア語が堪能。

・KGB職員のトップエリートはワシントン、ロンドン、パリなど西側主要国に駐在。その次はアジア、ラテンアメリカなど。最もランクが低いのが東側諸国。プーチンの赴任地は東ドイツ、しかもベルリンではなくドレスデン。KGB本部への報告書は全てベルリン支局を通していた。こうした三流ポストだったのは、プーチンがエリート家庭ではなく庶民の出身だったことも影響している。

・プーチンは東ドイツ時代のことをほとんど語らない。独ソ友好協会の副会長という表向きの肩書で、東ドイツ秘密警察の向かいにあったKGB事務所で働いていた。

・ウラジーミルはロシア人男性によくあるファーストネームで、その愛称をボロージャという。ドレスデン支局では同じファーストネームの同僚と2人で同じオフィスを使っていた。プーチンは「小さいボロージャ」、同僚は「ボロージャ」と呼ばれていた。

・プーチンには小柄であるコンプレックスをぶっとばし、庶民からのし上がってやるという野望があったのだろう。

・ロシアでは賄賂が横行し、権力者に袖の下を払わずして物事を成し遂げることはできない。プーチンは欧州一の金持ちと言われる。総資産はサウジ国王の2倍。スイス製高級腕時計が好きで、彼の所有する数個の腕時計の合計金額は16万ドル。オバマの腕時計は200ドル、ブッシュ息子は50ドル。

・外交政策をはじめ、ロシアのあらゆる最終決定はプーチンの独断で行われる。彼は学者が好きではなく、プーチン時代では政策決定プロセスで学術機関はないがしろにされている。インテリのオバマとは本質的に肌が合わない。

・プーチンのご機嫌がよくなけければウクライナの平和はない。停戦合意はロシア、ウクライナ、フランス、ドイツで行われたが、この場でも事実上の決定者はプーチンだけ。

・国家であれ個人であれ、宥和(対立する相手を寛大に扱い、仲良くすること)とは弱さの表れだとプーチンは考えている。