2018年2月24日土曜日

国家の権威と特権階級

 日本は天皇が権威、首相が権力を持って国家として機能している、と保守派は言う。関西などの観光地に行けば、〇〇天皇のために建立された寺、天皇がトップ人事を決めている神道施設があり、都心のど真ん中に広々と皇居や御所が広がる。

 民間や労働者から巻き上げた税金、余裕のある層の献金、税金対策による寄付、ボランティアなどでこうした権威や施設は成り立ち、観光資源として訪問者を集めて宿泊施設やレストラン、土産物屋なども潤う。

 相当のお金や労力を集約しないと広大な土地に工夫をこらした建物や庭園は作れないし、維持もできない。人々を圧倒させる文化遺産を創り、維持するにはこのような資金の流れが必要なのだろう。

 営々と続く歴史は権威や文化を維持し、国家存続に貢献しているかもしれない。今の天皇陛下はまじめに頑張っていると思う。被災地を訪問し、業績を上げた人を表彰して日本国民を励まし、 外国の首脳と会い、日本のイメージアップに一役買っている。

 だが、天皇は日本国の象徴なのだろうか。天皇制や特権階級の象徴ではあるが、日本という国家全体を表してはいない。むしろ、大多数の国民とはかけ離れたレベルの住居に住み、生活を営んでいる。

 この地位は日本国民の総意に基づいてもいない。天皇制について国民投票はないし、天皇は選挙で選ばれるわけでもない。

 権威というからには、最低でも常識的に考えておかしなレベルであってはならない。最近の秋篠宮家の婚約騒動、内親王の一貫性のない高額な進路選択など見ると、どうなのと疑問を持たざるを得ない。

 皇族は住まいから近い千代田区立麹町中学校や港区立赤坂中学校に行って、都立日比谷高校でも受験したらどうだろうか。それで落ちてしまうような、優秀な庶民よりも劣る人が国家の象徴として君臨できるシステムってなんなの、と私は個人的に思う。

 もしくは國學院か皇學館の神道学科とか、文学部で日本史でも学んだほうが、はるかに日本国の象徴としての教育に合っているのではないか。

 医師になるためには医学部を卒業して国家試験に受かる必要があるのに、日本国の象徴になるのに親や個人の好みで適当に進路を選べるのはおかしい。