2021年9月12日日曜日

歌舞伎「東海道四谷怪談」 レビュー 

  坂東玉三郎と片岡仁左衛門の人間国宝コンビによる歌舞伎「東海道四谷怪談」を鑑賞した。百聞は一見に如かず。大変示唆に富んだ体験だったので、印象に残った点を述べてみたい。

1)コロナ対策

 主催者・松竹の「なんとしてでも観客からコロナ陽性者を出さない」という強い決意が感じられた。

・スタッフ全員がマスク・フェイスシールドを両方着用。

・入場する際のチケット半券切りは、スタッフが内容を確認後、客が自ら切ってスタッフの持つビニール袋に入れるよう指示される。

・イヤホンガイドは「消毒済み」と書かれたシールで封印された透明袋に入ったイヤホンをスタッフから受け取ったあと、客が自らガイド機本体を取る。終了後はイヤホン・本体を会場外に設置された返却袋に入れる。

・客席は1席ごとに空席。最前列と花道の両側4~5列は無観客。役者からの飛沫防止のためと思われる。メチャクチャいい席をあえてコロナ対策で空席にすることに、主催者の並々ならぬ覚悟がにじみ出ている。

・1日3部の総入れ替え制。客は見たい部の演目を選んでチケットを買う。3部を全て見たければ、各演目のチケット合計3枚を買う必要がある。1等桟敷席は1万6000円、1等席は1万5000円。各部の上演時間は2時間弱。物足りないと言えば物足りないが、通常は歌舞伎鑑賞と言えば半日がかりと長丁場だったので、より気軽に見に行ける点はよい。

・上演前や幕間にはスタッフが「会話をお控えください」「終演後は指示にしたがってご退出ください」と書かれたプラカードを掲げて、頻繁に巡回している。

・チラシの入ったラックには「一度手に取ったチラシは二度と戻さないでください」と明記されている。

2)舞台の見え方

 今回は2階席の前列中央、天皇陛下が観劇する際のエリア。視界全体に舞台が入り、全体像を見るにはよい。だが1階席の前列と比べると、当然ながら舞台からは離れているので、役者の細かい表情や動作を見るにはオペラグラスが必要になる。オペラグラスを使うと、どうしても見え方がテレビを見るような感じになってしまう。

 かなり視力がよければこのエリアでもいいかも知れないが、臨場感を満喫したければやはり1階席のなるべく前がお勧め。前述したように最前列は現在取れないが、過去に最前列中央で見た経験から言えば、役者の息遣いが伝わり、役者と目が合うほどの距離感は最高。ただ舞台の奥は見えづらく、踊りの全体像も前過ぎてわからない時もある。

 天皇陛下の席が2階前列である理由は、おそらく上から見下ろすという儀礼上の観点かもしれない。また2階席のほうが観客数が少ないので警護もしやすいのかもしれない。

3)四谷怪談のストーリー

 色男だが究極のモラハラ・暴力夫の伊右衛門(仁左衛門)と妻・お岩(玉三郎)。産後の肥立ちが悪い妻と泣き声のうるさい子供を夫は疎ましく感じ、隣家の薬屋と結託してお岩に「血流をよくする薬」と称する毒薬を飲ませて殺す。この事実を隠すため、妻は下男と駆け落ちして死んだということにして2人を神田川に流す。伊右衛門は薬屋の娘・お梅と再婚するが、お岩が亡霊となって現れる。彼は思わずお岩を刀で切ろうとして、お梅を殺してしまう。

 このストーリーは何を意味しているのか。

 私が最も印象に残ったのは、この時期における毒薬という設定である。自分の都合がいいように物事を進めるため、殺したい人物に「良薬」だと称して毒薬を飲ませる。毒薬=ワ〇チンを想像した観客は私一人ではなかったかもしれない。

 いつ主催者がこの演目を決めたのかはわからないが、偶然だとしても、どうしても世の中の現状とストーリーが重なる。あらためて芸術の普遍性と意義、関係者の矜持と勇気に拍手を送りたい。

4)観客の9割は女性

 男性の大半は多少なりとも身勝手でモラハラの要素を持っている。伊右衛門はそうした負の要素を全て体現したキャラクターである。四谷怪談はフィクションということだが、お岩は実在した人物で、西巣鴨の妙行寺にはお岩の墓があり、四ッ谷三丁目にはお岩を祭った於岩稲荷田宮神社もある。

 歌舞伎座の観客席を見渡すと客の9割は女性だった。この中には夫や恋人のモラハラに悩み「ワタシはお岩さんよりはましだわ」と安心する人もいるのかもしれない。そこまで明確に意識しなくても夫の威圧的な一面を思い出し、お岩さんに漠然とした共感を覚える女性もいるかもしれない。

 あるいは私のように単純に玉三郎や仁左衛門を見たくて来た、という人もいるだろう。ハンサムな男性は女性には人気だが、男性には嫉妬心を起こさせる。また玉三郎がいくら女性的な美しさを体現していても、多くの男性は本物の女性に魅かれるような感覚は持たないだろう。

 なぜ女性が玉三郎に魅かれるのかと言えば、男性でありながら、ここまで真剣に女というものを探究している、つまり自分を理解しようとメチャクチャ努力している、という点だと思う。それでいて舞台を離れれば、ふつうに男性用のスーツやシャツを着ている。自分のことを「僕」や「私」と言い、「俺」とは決して言わない。伊右衛門のような俺様になりようのない、完璧な優しい雰囲気。それと同時に、ニューハーフやおかまのようなギラギラ感、場末感とは全く異なる品のよさ。

5)筋書・客席・役者の三拍子の重要性

 私にとって今回の歌舞伎鑑賞のキモは、主催者の演目選びであった。それ以外では、やはり筋書・客席・役者の三拍子が揃う重要性を実感した。つまり、自分の人生にも通じるものがあるストーリー、臨場感のある席、一流の役者の三者が揃うと、そこに感動が生まれる。