あまりにも明らかに東京は昨日から秋になった。あれほどしつこかった猛暑もこれで終わりだろう。朝早く目覚めると、少し前まではすでに明るかったが、今ではまだ夜明け前。季節は確実に移ろいでいる。
どんな有名な人でも、あるいは身近な人でも、そして誰しも最終的には灰になる。すごく偉い先生、文筆家、芸能人でも他界して10年、20年も経てばほとんど話題に上らなくなる。例えば、藤山一郎、淡谷のり子、逸見正孝、原節子など。
渡辺淳一の小説はだいたい全部読んだが、今となっては「大卒女は生意気でよくない。女性は短大卒くらいがちょうどよい」といった記述には時代の流れしか感じない。あれほど話題になった作家でも、忘れ去られるのは時間の問題だろう。
そう考えていくと怖い気がするが、結局のところ、やりたいことを自由にやるしかない。周囲の目が気になる多くの日本人に対して、堀江貴文氏は「誰もあなたのことなんか見ていない」と言う。同氏は刑務所を出所後、前科者には家を貸せないと言われて以来ホテル暮らしで、パンツもホテルのクリーニングに出しているそうだ。「恥ずかしくないんですか?」と聞かれることもあるが、そんなことはいちいち気にしない。
最近、マインドフルネスという言葉が流行っている。仏教の「今を生きる」哲学、座禅の瞑想に西洋的な手法も加えてマニュアル化したものだ。いろんな本が出ているし、マインドフルネスを教えている施設もあるが、こちらの大学講義が概要をわかりやすくまとめている。
ある意味で芸術作品はマインドフルネスの結果といえる。グダグダと永遠に考えすぎたり、感じすぎたりするのではなく、ある一瞬をとらえて絵画や音楽にまとめる。どうにもならない感情に耽溺する代わりに、その感覚を歌詞や曲にした歌をカラオケで歌う。もっとうまく歌うには、どっぷり浸かるのではなく、曲の世界から一歩引いて客観的に眺めて分析する必要がある。「サビの部分はここだが、前段のこの部分もかなり重要で繊細さが勝負だろう。だから120%感情をぶつけるのではなく、60%くらいに抑えることで逆にメッセージが伝わる」といった具合だ。そうこうしているうち、カラオケを歌う動機づけとなった心情から、いつの間にかある程度は自由になっている。
自意識や考えすぎから解放され、今を生きるとすれば、私は人生で何を求めているのだろうか。うすうす感じてはいたが、ようやく言葉として明確になった。私は頭がいい人、面白い人に囲まれていたい。つまらないもの、割に合わないもの、普通すぎるもの、危険なもの、うるさいものはNG。結果として家事に専念する主婦、うるさい子供を世話する母親にはならず、"Action speaks louder than words."という言葉通りになっている。
別にケンカを売るつもりはなく、他人の人生を否定するわけでもない。ただ、これでよかったのだと確認したかった。そして必要以上に周囲を気にすることなく、自分の欲求に素直に楽しく暮らしていきたい。