2018年10月19日金曜日

丙午女の半生

 人口ピラミッドを見ると、昭和41年(1966年)は明らかにガクッと出生数が少ない。前年比25%減で、確かに私の学年はクラス数が少なかった。

 60年に1度の縁起の悪い年、丙午(ひのえうま)。その理由は妻が夫を食い殺すからだという。戦後20年以上経ち、そんなあるわけがないことを信じる人々が多数いたのだ。

 11月生まれの私は受精卵~出生時まで正真正銘の丙午女である。もちろん誰も食い殺していないし、同い年の同胞の性格は様々だ。

 バカバカしい迷信を信じない親から生まれた、ということは言える。私の両親はコスパがよいという理由で仏滅に結婚式を挙げたくらいで、丙午なんてまったく気にしていなかった。

 だが当時の東京都教育委員会と文部省には人口の少なさに目をつけられ、見事に実験台にされた。

 まず都立高校の入試制度が全面的に改定された。それまでは東京都に住んでいれば、レベルの同じ高校を集めた学校群のうち、どこを受験してもよかった。受験科目は国数英の3科目。それが国数英理社の5科目に増え、住んでいる地域内の学校しか受験できなくなった。その学区の線引きによって、実はもっと家から近くていい学校に行くということができなくなった。

 そして今でもあれはひどいよね~~と思うことがある。それまで国語試験の一部に小論文(作文)があり、新制度でも引き続き行われるとされていた。実際、そのために模擬試験では毎回作文のテストがあり、配点も大きかったので相当な労力を割いて準備していた。国語の試験ではまず最後の作文のページを開き、出題を確認して頭で構想を練りながら、ほかの問題を解いていく、というのが定石だった。

 ところが入試当日、最後のページを開いたが作文のセクションがない。ええっっっ。。。!! ウソでしょ? 本当か?? と目を疑った。5教科で最初の科目でこの衝撃はすごかった。作文をなくすなら、なくすと最初から言ってくれよ。。。なんだよ、これは。。。

 高校に進学すると、新しい学習指導要領が待ち構えていた。理科Iという生物、化学、物理、地学を全てやる新科目が導入され、現場の先生方は困惑していた。要するに誰も1人では、この科目を教えられない。結果として、各専門の先生が2~3カ月ごとに教えることになり、理科Iにプラスして、その後に本来やるはずの科目(生物、化学、物理、地学)も同時やる、ということになってしまった。

 社会でも同じように、現代社会という新しい科目が導入され、政治・経済、倫理の全てをやることになった。

 そして極めつけは、共通一次で理科Iと現代社会が丙午世代(正確には昭和41年4月~昭和42年3月生まれ)の現役にのみ必須となった。浪人には旧課程の出題も用意され、新課程と旧課程のどちらかを選ぶことができたが、現役は新課程しか選べなかった。このため、受験勉強の負担が少ない浪人世代が圧倒的に有利と言われた。

 自分はどうにか現役で第一希望の国立大学に合格できたが、なんでこんな物理の公式まで覚えるんだよう。。。とクラクラした体験は今でも生々しくよみがえる。

 最近調べてみたら理科Iはなくなり、理科4科目が全て必修だったのは、日本の歴史上、丙午から12年間のみだったという。

 こうした情け容赦ない実験によって鍛えられ、結果的に気が強い女になった、ということは言えるかもしれない。