2022年4月5日火曜日

祇園・円山公園の夜桜 美の競演は圧巻!

 京都御苑・北東部の石薬師御門から祇園へ行くため、東の方向に歩いて出町柳駅から京阪本線に乗り、3つめの四条駅で降りる。

鴨川の河川敷で花見

 まずは出町柳駅まで歩いていると、鴨川が見えてくる。河川敷に見事な枝垂桜が咲いている。


 近くまで行って見てみよう。


 地元のライオンズクラブが植えたという。


 周辺にはほかにも花が咲き誇り、英語を話すグループらが花見を楽しんでいる。


 川の向こう岸も、きれいに咲いている。


夜桜に魂を揺さぶられる

 祇園はたそがれて南座がライトアップしている。歌舞伎座より小さな印象だが、ロケーションは抜群。


 南座をうしろに四条大橋で鴨川を渡り、向こう岸の高瀬川沿いを歩く。


 この妖艶な姿はこの世のものだろうか。日本にこれほど美しい情景があったのか。魂を揺さぶられ、こみ上げるものがあった。


 動画や写真では伝わりきれない、圧倒される魅力。千年以上にわたり蓄積された美意識、哲学、手法が作り出す重厚な魅力。古典的な価値にしか生み出せない新鮮な驚き。

 どうしても誰かに聞いてほしい願いがあったら、祇園の桜が最高の見頃のタイミングに連れてこよう。ほとんどの人はイヤとは言えないのではないだろうか(😅🌸)。
 
 いや京都さま、参りました。圧勝でございます。日本文化の中心、頂点として永遠に君臨しつづける。誰が言わなくても、あまりにも明白な事実。東京とは別次元の世界。大塚出身の坂東玉三郎が京都の古美術商から300年前の衣装を紹介され、再現して舞踏の衣装にしたというエピソードを喜々として口上で述べていたのを思い出す。

 後述する「日本三名園」や「日本庭園ナンバーワン・足立美術館」が存在する理由はこうだ。そうでも言わなければ、あまりにも京都の完勝のため、言葉は悪いが、どうしても見劣りするB級施設には誰も行かなくなってしまう。

 ただB級と言うのは、あまりにもおおざっぱな言い方ではあり、あえて言えば京都には京都ならではの限界もある。

 すなわち、都=大勢の人が集まる=競争が激しい=緊張感という図式。どの庭や寺、神社、皇室施設も美しさを競い合っているため、京都の庭にはピンと張りつめた完璧さという共通点がある。イングリッシュガーデンのように、雑草なのか花なのか見分けがつかないユルさが魅力となっている庭とは、対照的である。


 京都を散策して気づく点として、タバコを吸う人が結構いる。それだけストレスを感じている人が多いということだろう。世代を超えて受け継がれてきたものに磨きをかけて価値を高め、次世代に伝えていくプレッシャー。

 このため京都しか知らなければ、かなり整っている家ですら、うちの庭はなんてテキトーなんだと思わざるを得ない。京都と比べたら、どんなに手入れをしてもかなわない。本来はリラックスする手段であるべきガーデニングが苦痛になってしまう。

 こうした中でB級施設を見れば、ああこれでいいんだ、あるいはウチのほうがいけてると思って安心できる。

 いろんな思いがよぎりつつ、祇園の夜桜に呆然としたまま円山公園に向かう。

 八坂神社もライトアップされている。


 都が醸し出す優雅な雰囲気とカリスマ性。これだけでも京都にある大学への進学、あるいは住んだり長期滞在してみる意味はあると思う。

枝垂桜の哲学的な美
 
 八坂神社を通り過ぎ、満開のソメイヨシノの下で宴会に興じる人々。その奥にあの有名な枝垂桜が見えてくる。
 

 いくつもの株が一本の木から出ているのか。微妙に違う色が折り重なり、各枝が独自の美しさを放つ。まるで繊細な音楽を奏でるオーケストラのよう。ブラームスの交響曲でいえば、第四番ではっとするように輝く瞬間があり、白く光る花々がそれに相当する。


 なにかを木が語りかけてくる。その声を聞き取るため、全身を耳にして見つめる。そして押し寄せてくる枝々の周囲を歩きつづける。

 東山魁夷画伯があの有名な絵を描いたときには、ライトアップはしていなかったと思われる。今ならどう表現するだろうか。


タコ焼き商人から学ぶ

 夜8時半を過ぎ、お腹が空いてくる。せっかく関西に来たのだから、屋台のタコ焼きにしてみよう。注文を受けてからお兄さんが作ってくれる。

「トンコツ味がついていますが、ソースとマヨネーズもかけましょうか?」と聞かれ、両方かけてもらう。「もし足りなかったら、遠慮なく言ってくださいね。またかけますからね」

 さすが関西、客のニーズに応えるコミュ力が高い。いつも思うのだが、関西出身の友人に共通する特長として、細かいニュアンスを含めて全体像を伝えようとする意欲にあふれている。自分から他人に話しかけ、冗談を言うことに躊躇がない。

 これとは対照的に、東京の店では「ソースと青のりはおかけしますか?」「お箸はおつけしますか?」とマニュアルに沿った対応に固執している。

 東京=お上や会社の命令に従う、関西=工夫と自己表現、という文化の違いとも言える。


 屋台の隣にあるベンチに腰かけ、タコ焼きを食べながら桜を見つめつづける。表面がやわらかくておいしい。

 最後の一個をほおばり、しばらく休憩してお茶を飲む。ゴミ箱が見当たらないので、皿と割り箸をお兄さんに渡す。「ありがとうございます! またお願いします!」 さすが、東京のタコ焼きチェーンで「またお願いします」とは言われたことがない。関西人の商売から学ぶことは多い。

 まだ夜桜を見足りず、また周囲の枝を見ながら歩き出す。

 この場所で枝垂桜を見つめること一時間半。ようやく木の発信するメッセージを理解する。

 美しいとは何なのか。自分の持てる生を解き放つ、その集合体。私はもっと自分を解放すべきだ。

 ようやく納得してほっとする。帰り道の八坂神社を過ぎて、また南座が見えてくる。

 坂東玉三郎が「京都の南座」と言うときには、独特の高揚感と緊張感がある。歌舞伎座が本拠地ではあるが、南座には特別のやりがいがあるのだろう。なにしろ、こんなに妖艶で深遠な桜との共演なのだから💮🌸💮⛩️