四半世紀前の今日、スタンフォード大学のキャンパスから米国独立記念日を祝う花火を見上げながら、フルブライト留学生の私はまさに人生の黄金時代をかみしめていた。
第二次大戦で大打撃を受けた両親のもと公営住宅で育った私にとって、米国は出身家庭の経済レベルや性別に関係なく、努力する者にチャンスを与えてくれるアメリカンドリームを体現する国だった。
キャンパスには高級リゾートのように太くしっかりしたヤシの木が立ち並び、書店の前にある豪華な噴水や広大な芝生地のスプリンクラーはカリフォルニアの強い日差しを緩和し、静かで勉強に集中できる環境を作り出していた。
富裕層しか手の届かない高い学費と生活費の全額を日米政府が負担、当然ながら英語で全ての授業が行われる大学院で勉強に没頭したおかげで私はキャリアアップできたし、現在の快適なFIRE生活も可能になった。
このような貴重な機会を与えてくれたアメリカには感謝してもしきれない。
しかし月日が流れる中で、私の中にはある違和感が芽生え始めた。それは世界各地で起こる戦争や搾取構造にアメリカが深く関与しているという事実である。
近年では特にコロナ以降、明らかに状況がおかしくなってきたと感じる。9-11テロとイラクやアフガン攻撃、東日本大震災や福島原発事故、コロナとワクチン、レプリコン(mRNAワクチンの新技術)といったキーワードを詳しく調べてみると、アメリカは民主主義の名のもと、第二次大戦後もずっと戦争と事実上の植民地支配を続けてきたことがわかる。
さらには岩波新書「ネイティブ・アメリカン」(鎌田遵著)をひもとくと米国の黒歴史が生々しく浮かび上がる。
そもそもコロンブスの「新大陸発見」はあくまで欧州の見方であり、米国先住民にとっては侵略者の到来だった。当初は欧州人と先住民がともに秋の収穫を祝うなど友好的な関係で、今でも感謝祭の祝日となっている。しかしながら白人たちは先住民を殺戮して土地を奪い、1830年「インディアン強制移住法」によって欧州の入植者が必要としない砂漠の一角などの居留地に先住民を移動させて閉じ込めた。
ヨセミテ国立公園は元々先住民が1万2000年前から暮らしていたが連邦政府が追い出し、自然保護を名目として国立公園化した。グランドキャニオンも同様だった。政府の将軍は「良いインディアンは死んだインディアンだけ」と言い、先住民の食糧源だったバッファローを殺し尽くした。
1887年の一般土地分割法(ドーズ法)では先住民の居留地を細分化して個人所有を可能にしたが、先住民区画の隣に非先住民を割り当てて先住民の共同体を破壊。さらに固定資産税を課して、支払い能力のない先住民の土地売却を促した。
一言で言えば「自由と民主主義の旗手」であるアメリカ合衆国はイギリス人たちが先住民の命と土地を奪った産物であり、オーストラリアも同様の歴史を持つ。
「紳士の国」イギリスは世界各地でとんでもない殺人と横領を繰り返し、その結果を堂々と大英博物館に陳列までしている。
たしかにイギリス人男性は優しい人が多いし、ロンドンの地下鉄でスーツケースを抱えて階段を降りようとすると我先にと親切に運んでくれる。もしかしたら大英帝国の負の歴史に向き合いながら、自国が世界を支配した富と恩恵を威厳あるロンドンの街並みに感じているからこそ、どこかに贖罪意識や他者への思いやりも生じるのだろうか。