ドイツ元首相アンゲラ・メルケル氏の回顧録。上下2冊で紙の本を書店でパラパラと見たところ文字が結構小さかったのでKindleで購入、PCの大型画面で大きめの字で読んでいる。
私が最も気になっていたプーチン氏との関係部分を拾い読みしたあと、最初から読んで、彼女が大学を卒業したところまで終了。かなり面白いので印象に残っている部分を順次まとめてみたい。
メルケル氏は西独ハンブルクで生まれたが、キリスト教の牧師だった父親が「東ドイツにこそ自分を必要としている人々がいる」と考えたため、一家は東独の町テンプリンに移住する。父はクリスマスに一人暮らしの人たちを家に招いて話し相手になり、日頃から住民の相談に乗っていた。文章中からメルケル氏が父親をいかに尊敬し、生き方や考え方の土台としているかが伝わってくる。
東ドイツでは最も偉い職業が労働者、ついで農民であり、学者や牧師の社会的地位は低かった。父親の職業が牧師だったためメルケルは学校で給食を与えられず、家に帰って食事をしていた。
東独では政治的に正しく、一線を越えないことが最も重要だったが、明確な基準があるわけではなく、その時々で何がその一線なのかが変わり、そうした情勢を察知することが生存のために必要だった。(→JFKや安倍首相の暗殺、トランプ氏の暗殺未遂、原口一博衆院議員の不可解な大けがを見るに、程度の差こそあれ、アメリカや日本でも似たようなもの。あるいは米政府職員がブッシュ息子政権下で米国の京都議定書離脱を公な場で批判したら首になっても仕方ない。)
大学で物理学を専攻した理由は、社会主義国家であっても1+1=2であり、理系科目では政治的な理由で思考を変える必要がなかったから。実際、東ドイツの物理学は西側と同等の高い学術水準を持ち、進学先のカール・マルクス大学(ライプツィヒ)の指導教官は西側で研究発表も行っていた。
それでもマルクス・レーニン主義に関する授業で物理の「内職」をしていたら、後部座席に座っていた学生にチクられて教室を出ていく羽目になった。
20世紀最大の悲劇はメルケルにとってはドイツのナチ化、プーチンにとってはソ連の崩壊。プーチンはメルケルのモスクワ訪問にあたり、自分の車に彼女を乗せて空港まで送るなど仲がよかった。プーチンのドイツ語は非常に上手で、二人の会話はドイツ語で行われた。メルケルは犬にかまれた体験から犬嫌いであることをプーチンは知りながら、彼女との会談にレトリバーを連れてきた。(→このエピソードはプーチンの意地悪さの例としてよく登場するが、この本を読んだ印象では、親しさゆえの一線を越えたいたずらという感じもした。)
メルケルは学校のロシア語コンテストで優勝、賞としてプーチンの故郷であるレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を訪れたこともある。ソ連の中でもレニングラードは比較的自由な雰囲気があった。
東独にあってもメルケルの育った家庭は本質的に反体制的、西側寄りであり、このような思想の持ち主でもうまく東独社会で生き延びる知恵を父親は子供たちに教えた。秘密警察に巻き込まれないためのキーワードは「私はおしゃべりなので秘密を守るのが苦手」。メルケル自身は物事を深刻にとらえすぎず、のんきに構えることで乗り切った。
西側寄りの思想を持ちつつ東独社会を住民として理解し、故郷のテンプリンの自然環境を心から愛し、人々のために尽くす父親の背中を見て育ったメルケル氏は、統一ドイツの首相としてふさわしい資質を備えていたのだろう。