ベルリンの壁崩壊、メルケル氏が政治活動を開始するところまで読んだ。
23歳で25歳の男性と学生結婚、5年後に離婚。あくまで私の想像だが、社会主義国では娯楽が少ないため、若いうちに結婚することで性欲を満たすことが重要だったのかもしれない。相手男性の姓メルケルをその後の再婚~現在まで名乗り続けている。彼との楽しい思い出を語っているが、悪口は一切ない。
最初の夫と離婚して3年後に現在の夫(当時すでに彼も離婚、元妻との間に2人の子供がいた)と知り合う。彼の政治分析や芸術の素養に惹かれ、おかげでワーグナーの音楽に出会い理解したと書いている。逆に言えば、前夫にはこうした点で物足りなかったのかもしれない。前夫、現在の夫とも科学者。
東独でプロテスタントの牧師だった父親の考え方や処世術、現在の夫の思想や教養から学びを得て人生に生かした一方、元教師で主婦の母親は「いつもそこにいてくれた」ことに感謝しているが特にロールモデルとして描かれていない。
自分の記憶が鮮明な部分とそうでない部分を明確に分けて、正確に覚えていない部分はきちんと断り書きをしている。
故郷テンプリンの自然が素晴らしく特別であり、大学進学先のライプツィヒ周辺の湖とは別物と感じたことを「気を悪くする人がいたら申し訳ないが」と前置きしている。
父親の職業である牧師は東ドイツでは身分が低く、それが理由で学校で給食を支給されなかったほど。西独の親戚から届く物資の荷物からは石鹸のいい香りがしたが、東独は全てが悪趣味で安っぽかった。大学の必須科目マルクス・レーニン主義は退屈でバカバカしかった。
物理学者として働いていた頃は、西独や英国の学者が参加する学会で彼らと話すことが刺激的で楽しかった。勤務地ベルリンでは毎朝、駅で西ベルリンや西独各地に行く列車を見かけたが、これに乗るには許可証が必要だった。メルケル氏はチェコやハンガリー、ルーマニアなど東欧諸国に出張や旅行で行くことはあったが、西ドイツ訪問はベルリンの壁崩壊の2年前に規制が緩やかになって初めて可能になった。
西独の急行列車に初めて乗った時には、技術やデザインが奇跡の乗り物に見えた。だが泥のついた靴を対面の椅子に乗せて座っている乗客には驚いた。東ドイツではありえない光景だった。
子供の頃から東ドイツの体制に疑問を持ち続け、35歳の時にベルリンの壁が崩壊。新たな人生を始めるのにまだ十分な若さで、優秀な物理学者であったが生涯を捧げるほどのコミットメントはなく、むしろ政治に関心がありドイツ統一に興奮していた彼女にとって、政治への道を進むのは自然な流れだった。三人兄弟の長子として生まれ、学校や大学では交流イベントを企画するのが好きでリーダー的な存在だった。
本格的な政治活動への第一歩は、東独で与党・社会主義統一党(SED)以外の政党が次々と出てきた際に、その選択肢のうちどれを支持するかを検討することだった。