米大統領選がいよいよ来週火曜に迫った。私の米国人の友人・知人はバイデン支持一色で、トランプを応援する人は少なくとも表向きには一人もいない。
米大統領に関する私のリアルタイムの記憶はニクソンに始まり、それ以来、米国が最も輝いていたのはクリントン政権時代である。レーガノミクスの財政赤字を見事に解消し、北アイルランド問題や中東和平でクリントン大統領は平和外交を展開した。
日米教育委員会がまとめた米国への日本人留学生数のグラフを見ると、同数の多い年とクリントン政権時は見事に一致し、1997年にピークを迎えている。 私がフルブライト奨学生として米国大学院に留学したのも、この時期だった。留学生活があまりにも楽しく充実していたので、本当に帰国したくなかった。だが同奨学金の受給条件として学位取得後に2年間の帰国義務があった。その後ブッシュ息子政権になって、時代ががらりと変わり残念で仕方なかった。
クリントン夫妻はどんな人物なのだろうか。あらためて興味がわき、彼らの自伝を読んで報道やデータもチェックしてみた。
ビルは46歳で大統領の地位に上り詰め、前職のアーカンソー州知事には32歳の若さで就任した。だが華々しい経歴や明るい笑顔からは想像できないほど、不幸な生い立ちである。
出生前に実父を交通事故で亡くし、アル中の継父の暴力を受けて育つ。その一方で母方の祖父は、人種隔離が通常だった当時の南部では珍しく、自ら経営する食料品店で黒人の顧客も受け入れるなど進歩的だった。こうした生い立ちから、ビルは社会の在り方を深く考え、世の中をよくしたいという強烈な思いが生まれたに違いない。16歳の時にはすでに、将来は政治家になると決めていた。医者や経営者一族ではなく、庶民でこれだけ人生の早い時期に、ここまで明確に人生の目標を決められる人はそういない。
問題を抱えた継父の稼ぎは多くはなく、母親は看護師だった。それでもクリントン一家が中流階級の大きな家に住めたのは、継父の兄にあたる伯父の経済援助があったからだ。それでも母親は夫の暴力に耐えきれず息子を連れて離婚。だが夫に懇願されて元のさやに戻る。
両親が正式に「再婚」する直前に、ビルは15歳にして一人で裁判所へ出向き、自分の姓を実父の姓ブライズからクリントンに改姓する。裁判所は確認の電話を母親に入れ、母は承諾した。未成年者が独自の判断でこのような行動を取るとは驚きだ。その理由だが、継父と母の間に生まれた弟が小学校に入学する前に同じ姓にしたほうが、弟への要らぬいじめを防げるだろうと思ったという。あるいは単純にほかの家族と同じ名前になりたかったのかもしれない。継父を喜ばせることをしたかった、とも。
だが本当の理由は、言い方は悪いが金づるの伯父を含むクリントン家への敬意を示すことで、お金のかかる大学進学を確実にしたかったからではないだろうか。実際、母親が夫の元へ戻った理由は、自分の収入だけでは息子を育てるのに不安だったからだ。クリントン姓を名乗ったことは、文字通り名より実を取る政治的な判断だったのではないか。
実際、ヒラリーもこう語っている。「ビルは一度も私にクリントンを名乗るよう言ったことはない。私は結婚後も長らくヒラリー・ローダム(出生名)で通していたが、ビルの知事在任中に、要らぬ誤解を避けるためにクリントン姓も加えたほうがいいという周囲の助言があり、そうすることにした」
ビルの成績は地元の公立高校の同期生327人中の4番でSATのスコアもよく、アイビーリーグの難関校も狙えたが、志望校はジョージタウン大学外交学部一択だった。政治家になるためにはワシントンDCにいる必要があると思ったからだ。そして大学2年で見事フルブライト上院議員が委員長を務める外交委員会のスタッフとして働くことになり、給料で経済的な自立も果たす。
一方のヒラリーは、母親が孤児で祖父母にひどい扱いを受けて育ち、まともな学校教育も受けさせてもらえなかった。こうした話を聞いて育ったため、恵まれない子供や女性の自立を支援する活動をしたいという強い思いはあった。しかし法科大学院を卒業後にこうした活動に従事してはいたものの、自伝の中で何度も「将来に何をしたいのか、わからなかった」と書いている。
母親の生い立ちは不幸だったが、ヒラリーの父親が起業に成功したため家庭は裕福だった。シカゴ近郊の素敵な住宅街に住み、夏は毎年湖畔の別荘で過ごし、ヒラリーはお嬢様大学のウエルズリー大学に進学。卒業後の進路に法科大学院を選び、ハーバードとイエールの両方に合格した。だがハーバードでの内定者会合で教授から「女子学生が増えるのはイヤだ」と言われて憤慨し、イエールに行くことにした。
ビルの女性遍歴に関しては、家族的な背景もあるかもしれない。実父は実母と結婚する前に3度の離婚歴があり、継父は2度の離婚歴がある。ヒラリーと出会う前に、彼は多くの女性との交際経験があった。おそらく美人でカワイイだけの女性には物足りなかったのだろう。ヒラリーに魅かれた理由は見た瞬間に「強くて自律的」に思えたからだという。
恵まれない子供や働く女性への支援という点で、ビルとヒラリーは政治的な関心や価値観が見事に合致し、とても話が合った。ビルはヒラリーと結婚したくてたまらず、数え切れないほどプロポーズをしている。法科大学院を卒業後、ビルは地元アーカンソー州に戻って政治活動を開始し、ヒラリーは東部で働きながら飛行機で時々ビルに会いに行っていた。
ビルが空港まで車でヒラリーを送る中、彼女はふと車窓からレンガの家を見つけ、何気なく「素敵なお家ね」と言う。それを聞いたビルはその家を買って家具と寝具を搬入し、次回にヒラリーが訪ねてきた際に再度プロポーズする。「あなたが素敵だと言っていた家を買ったよ。自分ひとりでは住めないから、結婚してくれないと困る」(この家は現在、クリントンハウス記念館として一般公開されている。)
こうした強硬手段に出るほど、ビルはとにかくヒラリーと結婚するために必死だったことがわかる。もちろん二人は価値観や話が合っていたが、それと同時にヒラリーが優秀で実家が裕福だったことが関係していると私は思う。結婚して所帯を持てば、それ以上は伯父さんの経済援助を期待するのは難しい。政治家は当選しなければ仕事がなく、本質的に不安定な職業である。その生活を支える新たな金づるとして、ヒラリーが欲しかったのだろう。実際、大統領になるまでの間、ヒラリーが弁護士として働き、一家の大黒柱としてビルよりもはるかに稼いでいた。
ホワイトウオーター疑惑にしても家計を安定させる目的で、ヒラリーが始めた不動産投資だった。だが仕事や子育てで忙しく細かく状況を追うことができないうちに、いつの間にか騙されていて損失を出してしまった、と彼女は語っている。収益どころか損を出し、全くやましいことはしていない。進歩的なクリントン大統領を引きずり下ろそうとする右翼の陰謀によるでっち上げに過ぎず、迷惑千万も甚だしい、と。
モニカ・ルインスキーとのスキャンダルに関しては、彼女のほうがビルに夢中だった。モニカには以前から既婚男性と関係を持つ性癖があり、ビル・クリントンがいかに魅力的だったかをうれしそうにインタビューで語っている。彼女のほうから近づき、ビルが応じた形らしい。ビルはヒラリーにはこの不適切な関係を隠してウソをついていたが、ばれた時には彼女の前で泣いてしまった。
ヒラリーはこう述懐している。「私たちの結婚は続けていけるのか、いくべきなのか、かなり悩んだ」。だがビルと出会う以前から、彼女は結婚した相手とは一生添い遂げると決めていた。そして二人は夫婦である以上に、政治的な価値観を共有する運命共同体である。
事実上の副大統領はヒラリーだったと思わせるほど、ビルは彼女の助言を聞いて採用している。二人はいつでも、お互いのスピーチ原稿に手を入れてアドバイスしていた。ビルが大統領選に出馬した理由は民主党本部に要請されたからで、アル・ゴアを副大統領候補に決めたのも党だった。それまでクリントンはゴアをほとんど知らなかったという。クリントン・ゴアの組み合わせは完全な「政略結婚」であり、ヒラリーの自伝にゴアはほとんど登場しない。 (敬称略)
