古典とは何だろうか。数百年の時を経ても変わらない人間の本質に迫り、人生の意味や生き方について考えさせる作品だと思う。
歌舞伎「勧進帳」は1840年の初演以来、歴代の有名役者が主人公の弁慶と富樫を演じてきた。とりわけ七代目松本幸四郎は生涯で1600回以上弁慶を演じ、昭和18年に歌舞伎座で行われた公演は歴史的な名演技としてDVD化されている。
最近では、2012年10月に九代目松本幸四郎と十二代目市川團十郎が、弁慶と富樫の役を昼の部と夜の部で入れ替えて競演して話題を呼んだ。私は幸四郎の弁慶、團十郎の富樫を観て洗練された迫力ある演技に感動した。逆の配役も見たいなと思いつつ公演は終了してしまった。それからわずか3カ月後に團十郎は急逝。持病の白血病が悪化し、66歳の若さであった。
先日、九代目幸四郎の息子で十代目幸四郎の弁慶による勧進帳を歌舞伎座で鑑賞した。幸四郎を襲名してまだ1年半、父親とは31年ものキャリアの差がある。プロとしてお金を取るレベルには達しているが、当然ながら九代目幸四郎の域には到底及ばない。傑出した演技というのはそうそうあるものではない、十二代目團十郎の弁慶も観ておけばよかったと後悔した。
勧進帳の筋書きだが、一言で言えば弁慶は理想の部下であり、上司である義経との温かい人間関係、それでも厳然と存在する上下関係を描いている。天下を追われた義経一行が山伏に偽装して逃亡。関所の関守・富樫は、山伏であれば東大寺再建への寄附募集を記した勧進帳を持っているはずだと迫る。何も書いていない巻物を咄嗟に取り出し、書いてあるであろう内容をアドリブで「読み上げる」弁慶。納得した富樫に酒を勧められると、たらいのような大きな器に注がれた酒に息をふきかけてアルコールを飛ばして一気飲み。足元がよたつきながら独特の滑稽な舞を舞って見せる。弁慶の仕事ぶりに感銘を受けた富樫は、義経一行ではないかと思いつつも最終的に関所を通過させる。それを理解した弁慶は心の底で富樫に深く感謝する。
そうして関所を越え、弁慶は義経や同僚たちを先に遠くまで逃げさせ、それを確実に見届けてから、最後に見事な独特の舞を舞いつつ花道から力強く出て行く。
この筋書きから、どんなメッセージを観客は受け取るだろうか。2012年と2019年の公演を比べると、脇役ながら義経がどのような演技をするかが肝になっている。2012年に義経を演じた坂田藤十郎は品と威厳にあふれ、いかに優秀な部下であっても、あくまでボスは義経なのだと思わせた。
2019年の公演で片岡孝太郎演じる義経にはそれほどのオーラがなく、最初から最後まで主人公は弁慶だと印象づけた。
酩酊していると思わせつつおバカな舞を見事に舞うシーンは、あほらしく意味がないと思われる仕事を振られても、そこはプロとしてやり切る、というメッセージなのかもしれない。
最後のクライマックスは、こう読み取れるかもしれない。
無事に義務を果たしたら、そこからあなたの本当の人生が始まるのです。力強く足で花道を叩き、劇場中に音をとどろかせ、あなたにしかできないインパクトのある素晴らしい舞を舞ったらいかがですか。
自分にとって、そうした舞とはどのようなものだろうか。
