ノーベル賞受賞者、あるいは殺人事件の犯人など、良くも悪くも話題の人物をマスコミが報道すると、必ずと言っていいほど小中学校の卒業文集が出てくる。
子供の頃に考えていた将来像と、その後の人生を対比することは、それなりに意味があるのかもしれない。
私は小学校の卒業文集の将来の夢に「大金持ちになりたい」として、レンガづくりの素敵な暖炉のある豪邸の絵を描いた。友達はそれを真似して「大金持ち夫人」と書いた。
興味深いことに、私は幼少の頃から「〇〇夫人」という発想を全く持っていなかった。 英語で言う"happy ever after"、シンデレラが王子様と結婚して「幸せになりました」とあるが、具体的に何があってどう幸せなのか、こうした童話はまったく詳述していない。「幸せになりました」で話が終わり、その後どうなったのかわからないことが、むしろ不気味というか不安を起こさせた。
こうした理由から「〇〇夫人」ではなく、「カッコいい仕事で活躍する」ことが目標になっていった。鶏が先か卵が先かわからないが、女性の権利に関して、昭和一桁にしては私の父はものすごく進歩的だった。「女だからこうしろ」と言われたことは一度もなく、むしろ私の学校の成績にものすごく関心があり、特に英語は満点を取り続けるのが当然だった。
昭和時代にしてはかなり珍しかったが、授業参観に来るのは母ではなく、いつも父だった。どうにかして半日有給を取り、先生の教え方や私の態度について帰宅後に論評した。こうして振り返ってみると、父の私に対する期待はすごかったんだなと思う。
そうして現在に至り、今週早朝に東京、ワシントンDC、ボストンをつないで電話会議をやることになった。手抜かりはないか確認事項をチェックしていて、思わずまさに「カッコいい仕事」だなと思った。
その一方で、本当に難しく嫌なことをやらなければならないことも多い。ゴキブリのように所構わず食糧を食い荒らす迷惑な奴らを、ハエタタキでぶったたく。相手はヒクヒクいっているが、ゴキブリだから死んだふりをして、いつまた息を吹き返すかわからない。
そもそも、ゴキブリが生息している家(=職場環境)にいるのは気持ち悪く、理想を言えばゴキブリやシロアリなどが生息していないとされる軽井沢にでも引っ越したい、とも思う。だがやはりお金を稼ぐなら、とりあえず日本なら東京だろう。子供の頃の夢だった「大金持ち」ではないが、ありがたいことに快適な生活ができる給料はもらっている。
しかしながら、サラリーマンで「大金持ち」になるのは不可能である。ネット情報によれば、今をときめくグーグル、あるいは仕事のきつさで知られるゴールドマンサックスのような投資銀行に勤めたところで、Managing Directorなど上級管理職でも年収5000万程度。 高い税金を引けば、10年で2~3億円くらいしか貯金できない。都心一等地の家が5~6億円して、さらに固定資産税やメインテナンス費用を考えれば、10億円は用意しておく必要がある。
しかしながら、5億の家を買ったところで、ハタと考えてみると、掃除が大変ではないか? お手伝いさんに来てもらい、家の中を把握されるのも、やっぱりちょっと気持ち悪い。最近買った掃除ロボットは優秀ではあるが、その前に当然片付けないといけないし、家が広ければ一回の充電では持たないだろう。
そうなってくると、お金では換算できない、英語で言うpricelessなものの価値を考えることはすごく意味がある。そうすると、カッコいいという形容詞よりも、「立派なお仕事」が思い浮かぶ。
例えば、医療・福祉関係者の方々。頭がよく人間的な思いやりにあふれ、文字通り人助けをするお医者さんは「立派なお仕事」の典型である。勤務医や大学病院の教官、あるいは国公立病院で公務員と変わらない立場であれば、年収1000万~2500万円程度ではないだろうか。急患、宿直などブラック企業と同様のきつい仕事でもある。だが人の命を救うという、最も尊敬できる仕事をしている自尊心があり、そこには「カッコいい仕事」を凌駕する満足感があるに違いない。
だが私の仕事も一歩引いて眺めてみれば、世の中のためにいいことをしている。水産物貿易を促進してヘルシーなシーフードを消費者に届けるべく、通商政策や規制を調べて問題を解決する。その過程で生じる面倒臭い人間関係、組織政治をどうにかやり過ごすことで、その目標を達成できる。