2025年7月6日日曜日

アンゲラ・メルケル著「自由」 読書メモ(2)

 ベルリンの壁崩壊、メルケル氏が政治活動を開始するところまで読んだ。

 23歳で25歳の男性と学生結婚、5年後に離婚。あくまで私の想像だが、社会主義国では娯楽が少ないため、若いうちに結婚することで性欲を満たすことが重要だったのかもしれない。相手男性の姓メルケルをその後の再婚~現在まで名乗り続けている。彼との楽しい思い出を語っているが、悪口は一切ない。

 最初の夫と離婚して3年後に現在の夫(当時すでに彼も離婚、元妻との間に2人の子供がいた)と知り合う。彼の政治分析や芸術の素養に惹かれ、おかげでワーグナーの音楽に出会い理解したと書いている。逆に言えば、前夫にはこうした点で物足りなかったのかもしれない。前夫、現在の夫とも科学者。

 東独でプロテスタントの牧師だった父親の考え方や処世術、現在の夫の思想や教養から学びを得て人生に生かした一方、元教師で主婦の母親は「いつもそこにいてくれた」ことに感謝しているが特にロールモデルとして描かれていない。

 自分の記憶が鮮明な部分とそうでない部分を明確に分けて、正確に覚えていない部分はきちんと断り書きをしている。

 故郷テンプリンの自然が素晴らしく特別であり、大学進学先のライプツィヒ周辺の湖とは別物と感じたことを「気を悪くする人がいたら申し訳ないが」と前置きしている。

 父親の職業である牧師は東ドイツでは身分が低く、それが理由で学校で給食を支給されなかったほど。西独の親戚から届く物資の荷物からは石鹸のいい香りがしたが、東独は全てが悪趣味で安っぽかった。大学の必須科目マルクス・レーニン主義は退屈でバカバカしかった。

 物理学者として働いていた頃は、西独や英国の学者が参加する学会で彼らと話すことが刺激的で楽しかった。勤務地ベルリンでは毎朝、駅で西ベルリンや西独各地に行く列車を見かけたが、これに乗るには許可証が必要だった。メルケル氏はチェコやハンガリー、ルーマニアなど東欧諸国に出張や旅行で行くことはあったが、西ドイツ訪問はベルリンの壁崩壊の2年前に規制が緩やかになって初めて可能になった。

 西独の急行列車に初めて乗った時には、技術やデザインが奇跡の乗り物に見えた。だが泥のついた靴を対面の椅子に乗せて座っている乗客には驚いた。東ドイツではありえない光景だった。

 子供の頃から東ドイツの体制に疑問を持ち続け、35歳の時にベルリンの壁が崩壊。新たな人生を始めるのにまだ十分な若さで、優秀な物理学者であったが生涯を捧げるほどのコミットメントはなく、むしろ政治に関心がありドイツ統一に興奮していた彼女にとって、政治への道を進むのは自然な流れだった。三人兄弟の長子として生まれ、学校や大学では交流イベントを企画するのが好きでリーダー的な存在だった。

 本格的な政治活動への第一歩は、東独で与党・社会主義統一党(SED)以外の政党が次々と出てきた際に、その選択肢のうちどれを支持するかを検討することだった。

2025年7月5日土曜日

プロ野球に白けてきた理由

  私は10歳の頃に虎党になり、半世紀近く野球観戦を楽しんできた。田淵選手や岡田選手のファンとして阪神の黄金時代、暗黒時代をへて2023年には岡田監督のもと38年ぶりの日本一を達成。岡田阪神の追っかけはFIRE生活の柱の一つだった。

 ただ最近ではいろいろな点でプロ野球に白けてきた。その理由を挙げてみたい。

1.タイガース功労者への阪神球団の不可解な対応

 昨秋に突然報知新聞が岡田退陣と藤川新監督の就任をリークしてその通りとなったが、阪神球団は岡田監督へのお礼の花束贈呈や記者会見も行わなかった。この球団対応は夜中の1時に突然当時のミスタータイガース田淵選手を球団事務所に呼び出し、西武へのトレードを告げたという黒歴史を思い出させた。

 藤川氏はコーチも二軍監督も経験がなく突然一軍の監督となり、私にはファンを馬鹿にしているとしか思えない。彼が田淵選手の背番号22をつけているのも不愉快だ。そう考えるファンも私だけではないようで、先日阪急阪神HDの株主総会でも指摘された。

 田淵選手の移籍後、西武ライオンズは家に最も近い球団であり、また毎年リーグ優勝と日本一を繰り返して地元で特別セールをやってくれたのでライオンズには親しみがあった。

 岡田監督退陣をきっかけに阪神球団をバカバカしく思う気持ちが決定的となったことに加えて、昨年ライオンズは歴史的などん底で危機感を持ち、私は西武のファンクラブに入って応援するようになった。

2.サウナ状態のベルーナドーム(西武球場)

 ライオンズは魅力的なチームだが、本拠地ベルーナドーム(西武球場)は上から屋根をかぶせただけでエアコンがなく夏の暑さは半端ない。個人的な体感では6月初旬の交流戦まではいいものの、それ以降は暑すぎる。実際、6月末にエースの今井投手が体調不良のため4回で降板、熱中症と診断された。

 今井投手は昨夜、このあと初めて福岡ドームでソフトバンク戦に登板したが5回を投げて3失点。シーズン当初、防御率0点台の無敵ぶりと比べて明らかに調子が悪い。これは本拠地球場の暑さと長距離移動の負担と大いに関係あるだろう。

 これまで熱中症のため欠場したのは今井投手のみならず、滝澤選手、中村選手、レオ、他球団の選手も少なくない。にもかかわらず西武球団は今年ようやくミスト噴霧、しかも客席だけで選手たちがプレーするフィールドには何の対策もなく、完全ドームや風の通る野外球場の建設といった根本的な対処の話は出てこない。

 こうなってくると危険な綱渡りを見世物にするサーカスのようなもので、選手たちの命を軽んじる西武球団と親会社の西武HDの興行主としての姿勢を疑う。

3.日本野球機構の意味のないSNS規制

 今年から日本野球機構(NPB)は厳しいSNS規制を実施、プレー中の選手を撮影した写真や動画をSNSにアップすることは禁止など細かいルールができた。

 オープン戦や開幕当初は知らなかった投稿者も多く、私もその一人だったが、ある視聴者に指摘されてやむなくアップした動画を非公開にした。

 だが今になっても堂々とプレー中の画像や映像を試合中にアップしつづけるたちもいる。NPBや各球団は「ルール違反者は出入り禁止などの措置を取る」と言いつつ、実際には野放し状態。結果としてルールを破ったアカウントのフォロワーが増え続けている。

 そもそも、こうした規制の目的が不明確であり、MLBでは特に禁止されていない。あくまで想像なのだが、米国では人気が横ばいのMLBにより日本人の関心を呼び込む方策として、NPB人気を抑えようとする動きという感じもする。

 じゃあ自分もSNS規制など気にせずやればいいのかもしれないが、上記1~2から、そこまでして、疑問符のつく興行主を盛り上げる行為はいかがなものかとも感じる。

 そもそもプロ野球界は選手をこき使いすぎではないか。私がプロ野球を観戦しはじめた頃は年間130試合+セパ両リーグの覇者による日本シリーズだけだった。現在は公式戦だけで143試合、CSファーストステージとファイナル、日本シリーズに加え、WBCとかなり試合数が多い。プロ野球選手はデッドボールなどプレー中の怪我もさることながら、肉離れなど体の使い過ぎが原因と思われる故障も多い。

 このような行き過ぎた商業主義と不可解な動きやルール、選手の命と健康を真剣に考えているとは思えないNPBや球団の姿勢に、私はもはや心から熱狂できなくなった。

 私が見たいのはサーカスではなく、健全な試合である。

2025年7月4日金曜日

アンゲラ・メルケル著「自由」 読書メモ(1)

 ドイツ元首相アンゲラ・メルケル氏の回顧録。上下2冊で紙の本を書店でパラパラと見たところ文字が結構小さかったのでKindleで購入、PCの大型画面で大きめの字で読んでいる。

 私が最も気になっていたプーチン氏との関係部分を拾い読みしたあと、最初から読んで、彼女が大学を卒業したところまで終了。かなり面白いので印象に残っている部分を順次まとめてみたい。

 メルケル氏は西独ハンブルクで生まれたが、キリスト教の牧師だった父親が「東ドイツにこそ自分を必要としている人々がいる」と考えたため、一家は東独の町テンプリンに移住する。父はクリスマスに一人暮らしの人たちを家に招いて話し相手になり、日頃から住民の相談に乗っていた。文章中からメルケル氏が父親をいかに尊敬し、生き方や考え方の土台としているかが伝わってくる。

 東ドイツでは最も偉い職業が労働者、ついで農民であり、学者や牧師の社会的地位は低かった。父親の職業が牧師だったためメルケルは学校で給食を与えられず、家に帰って食事をしていた。

 東独では政治的に正しく、一線を越えないことが最も重要だったが、明確な基準があるわけではなく、その時々で何がその一線なのかが変わり、そうした情勢を察知することが生存のために必要だった。(→JFKや安倍首相の暗殺、トランプ氏の暗殺未遂、原口一博衆院議員の不可解な大けがを見るに、程度の差こそあれ、アメリカや日本でも似たようなもの。あるいは米政府職員がブッシュ息子政権下で米国の京都議定書離脱を公な場で批判したら首になっても仕方ない。)

 大学で物理学を専攻した理由は、社会主義国家であっても1+1=2であり、理系科目では政治的な理由で思考を変える必要がなかったから。実際、東ドイツの物理学は西側と同等の高い学術水準を持ち、進学先のカール・マルクス大学(ライプツィヒ)の指導教官は西側で研究発表も行っていた。

 それでもマルクス・レーニン主義に関する授業で物理の「内職」をしていたら、後部座席に座っていた学生にチクられて教室を出ていく羽目になった。

 20世紀最大の悲劇はメルケルにとってはドイツのナチ化、プーチンにとってはソ連の崩壊。プーチンはメルケルのモスクワ訪問にあたり、自分の車に彼女を乗せて空港まで送るなど仲がよかった。プーチンのドイツ語は非常に上手で、二人の会話はドイツ語で行われた。メルケルは犬にかまれた体験から犬嫌いであることをプーチンは知りながら、彼女との会談にレトリバーを連れてきた。(→このエピソードはプーチンの意地悪さの例としてよく登場するが、この本を読んだ印象では、親しさゆえの一線を越えたいたずらという感じもした。)

 メルケルは学校のロシア語コンテストで優勝、賞としてプーチンの故郷であるレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を訪れたこともある。ソ連の中でもレニングラードは比較的自由な雰囲気があった。

 東独にあってもメルケルの育った家庭は本質的に反体制的、西側寄りであり、このような思想の持ち主でもうまく東独社会で生き延びる知恵を父親は子供たちに教えた。秘密警察に巻き込まれないためのキーワードは「私はおしゃべりなので秘密を守るのが苦手」。メルケル自身は物事を深刻にとらえすぎず、のんきに構えることで乗り切った。

 西側寄りの思想を持ちつつ東独社会を住民として理解し、故郷のテンプリンの自然環境を心から愛し、人々のために尽くす父親の背中を見て育ったメルケル氏は、統一ドイツの首相としてふさわしい資質を備えていたのだろう。

2025年7月3日木曜日

アメリカ独立記念日にみる光と影

 四半世紀前の今日、スタンフォード大学のキャンパスから米国独立記念日を祝う花火を見上げながら、フルブライト留学生の私はまさに人生の黄金時代をかみしめていた。

 第二次大戦で大打撃を受けた両親のもと公営住宅で育った私にとって、米国は出身家庭の経済レベルや性別に関係なく、努力する者にチャンスを与えてくれるアメリカンドリームを体現する国だった。

 キャンパスには高級リゾートのように太くしっかりしたヤシの木が立ち並び、書店の前にある豪華な噴水や広大な芝生地のスプリンクラーはカリフォルニアの強い日差しを緩和し、静かで勉強に集中できる環境を作り出していた。

 富裕層しか手の届かない高い学費と生活費の全額を日米政府が負担、当然ながら英語で全ての授業が行われる大学院で勉強に没頭したおかげで私はキャリアアップできたし、現在の快適なFIRE生活も可能になった。

 このような貴重な機会を与えてくれたアメリカには感謝してもしきれない。

 しかし月日が流れる中で、私の中にはある違和感が芽生え始めた。それは世界各地で起こる戦争や搾取構造にアメリカが深く関与しているという事実である。

 近年では特にコロナ以降、明らかに状況がおかしくなってきたと感じる。9-11テロとイラクやアフガン攻撃、東日本大震災や福島原発事故、コロナとワクチン、レプリコン(mRNAワクチンの新技術)といったキーワードを詳しく調べてみると、アメリカは民主主義の名のもと、第二次大戦後もずっと戦争と事実上の植民地支配を続けてきたことがわかる。

 さらには岩波新書「ネイティブ・アメリカン」(鎌田遵著)をひもとくと米国の黒歴史が生々しく浮かび上がる。

 そもそもコロンブスの「新大陸発見」はあくまで欧州の見方であり、米国先住民にとっては侵略者の到来だった。当初は欧州人と先住民がともに秋の収穫を祝うなど友好的な関係で、今でも感謝祭の祝日となっている。しかしながら白人たちは先住民を殺戮して土地を奪い、1830年「インディアン強制移住法」によって欧州の入植者が必要としない砂漠の一角などの居留地に先住民を移動させて閉じ込めた。

 ヨセミテ国立公園は元々先住民が1万2000年前から暮らしていたが連邦政府が追い出し、自然保護を名目として国立公園化した。グランドキャニオンも同様だった。政府の将軍は「良いインディアンは死んだインディアンだけ」と言い、先住民の食糧源だったバッファローを殺し尽くした。

 1887年の一般土地分割法(ドーズ法)では先住民の居留地を細分化して個人所有を可能にしたが、先住民区画の隣に非先住民を割り当てて先住民の共同体を破壊。さらに固定資産税を課して、支払い能力のない先住民の土地売却を促した。

 一言で言えば「自由と民主主義の旗手」であるアメリカ合衆国はイギリス人たちが先住民の命と土地を奪った産物であり、オーストラリアも同様の歴史を持つ。

「紳士の国」イギリスは世界各地でとんでもない殺人と横領を繰り返し、その結果を堂々と大英博物館に陳列までしている。

 たしかにイギリス人男性は優しい人が多いし、ロンドンの地下鉄でスーツケースを抱えて階段を降りようとすると我先にと親切に運んでくれる。もしかしたら大英帝国の負の歴史に向き合いながら、自国が世界を支配した富と恩恵を威厳あるロンドンの街並みに感じているからこそ、どこかに贖罪意識や他者への思いやりも生じるのだろうか。