しばらくブログを書いていなかったが、昨年11月に1カ月欧州放浪の旅に出ていた。
コロナ関連の渡航規制は解除されたが、〇〇パスポートなど新たな規制がうわさされ、とにかくやりたいことをやれるうちにガンガンやることにした。4Kビデオカメラを持参、現地の映像をYouTubeチャンネルにアップしている。
旧東ドイツの各所はすでに歴史的遺産として観光名所になっている。Googleマップで調べると、観光ガイド書には出ていない非常に興味深い施設が出てくる。
そのうちの一つが東ドイツの秘密警察である。ドイツ語の公式名称"Ministerium für Staatsicherheit" (英語:Ministry for State Security)を短縮してStasiと呼ばれ、現在は同本部があったベルリン市内の場所にStasi Museumとして一般公開されている。
1990年10月に統一ドイツが発足した翌月の11月、反スターリン行動協会(Verein Antistalinistische Aktion、英語:Association of Anti-Stalin Action or ASTAK )という市民団体がStasi Museumを設立以来、運営を行っている。2010~2011年にはドイツ政府予算1100万ユーロ(約17億円)をかけて常設展が設置された。
毎週月水金土の午後1時からドイツ語、午後3時から英語によるガイドつきツアーが実施されている。私は事前に英語ツアーを予約して参加した。
ガイドの女性は10歳まで東ドイツで育ったという。定員15人、1時間半のツアーで館内の見所をめぐる。
1950年代には社会主義やソ連支配への不満分子の多くは政治犯として投獄された。Stasiは17の政治犯刑務所を運営、囚人の移送には荷物搬送用車両を使うこともあった。刑務所に到着すると、囚人は衣服や所持品を取り払われ身体検査、指紋採取と写真撮影が行われ、体臭を採取されることもよくあった。刑務所は囚人の証言を促すような状態になっていた。
政治犯の投獄を人権侵害と西側から非難を受けたこともあり、1960~70年代には投獄はぐっと減った。その代わりStasiは「恐怖を植えつける」ことで国民が行動を自主規制するようにした。
例えば、西ドイツへの移住申請は可能ではあったが、申請した人物は監視対象となり、心理的な弱点をついた嫌がらせが行われた。郵便物は気づかないよう開封と中味のチェックが行われ、電話は盗聴され、不在中に家の中に入られ交友関係や思想を調べられた。
(開封した封筒を閉じるStasi職員)
(家の鍵をこじ開ける道具)
(盗聴器が仕掛けられたドア)
そうして得た各人の特徴に応じて、最も攻撃しやすい方法をStasiは考えた。細かい人であれば、部屋に置いてある花の位置やマトリョーシカの順番を変えた。プライドの高いエンジニアにはブルーカラーの仕事を指示した。Stasiは国民から嫌われているとよくわかっていたので、ターゲットとなる人物は「Stasi職員だ」という噂を近所で流した。こうした結果、西側への移住申請を取り下げるなど、いやがらせ作戦は効果を発揮した。
一連の作戦をやりやすくするため、Stasi職員は公務員、郵便局員、ホテル従業員などいくつもの身分証明書を持っていた。
そうした一方、東ドイツは西側からの物資輸入に必要な外貨が極端に不足していたため、西ドイツに囚人を追い出すことと引き換えにマルクを受け取る取引も行っていた。1963年に始まり、1989年までに3万4000人の囚人が対象となり、35億マルク(当時の日本円で2450億円)が西ドイツから東ドイツに支払われた。
長官室は家具などを含め当時のまま残されている。
Stasi本部はいくつもの建物で構成されていたが、現在は長官室のあった一号館のみが博物館として公開されている。ガイドの方によれば、その他の建物は「空いたまま」だという。
Stasi本部のすぐ隣に政治犯の刑務所があったが、現在は統一ドイツが女性囚を収容する刑務所となっている。
ツアーは午後4時半に終了。膨大な資料や展示の主要部分を見ながら回ったが、まだ見ていない箇所がたくさんあった。ツアー後にはこうした箇所を見学。東ドイツの政党、Stasiの人事、機材調達などに関してソ連やKGBが上部組織として支配していた構造などがよくわかり、非常に興味深かった。午後6時の閉館ギリギリまで見ても、まだ見足りなかった😅
Stasi Museumのみならず、ドイツの博物館はどこも膨大な量の資料を多くの角度から興味を引く形で展示している。全部きちんと見るとなれば、少なくとも丸1日は必要だ。Stasi Museumにしても、
ナチス政権による障害者や病人の大量虐殺に関する展示にしても、市民活動を中心として行われている。こうした博物館に多くの一般人が訪れ、つくづくドイツ人は歴史を学ぶことを重んじ、勉強の習慣があるのだなと実感した。
ドイツの博物館と比べると、六本木ヒルズの森美術館など日本の博物館や展覧会の多くは、国立博物館級や日展は別として、ある一定方向へ訪問者の考えや感情を引っ張ろうとして、あえて展示を少なくしているとすら思えてくる。
Stasi Museumはベルリン中心地からやや離れている。行きのタクシーで帰りはどうすればよいか聞くと、博物館の受付に頼めばタクシーを呼んでくれると言う。閉館時には日も落ちて暗くなり、受付にお願いすると、5分も経たないうちにタクシーが現れた。
女性ドライバーで日本に2回も旅行に来たことがあると言う。Stasi Museumの2日前に行った
ベルリンフィルのコンサートについて話すと、彼女はピアノを習っていてクラシック音楽が大好きだ、とも。同じ曲でも指揮者の解釈によって全く違う雰囲気になってしまう、など音楽談義で盛り上がった。こんな話をタクシー運転手とできるなんて、さすがドイツ❣と感動した。
この日は
親パレスチナの大規模デモがベルリン市内で行われていた。交通規制のため遠回りになるという説明もあり、支払った運賃は妥当な額で、ドイツのタクシーの信頼性にも安心できた。