2020年10月28日水曜日

クリントン夫妻の興味深い人生

  米大統領選がいよいよ来週火曜に迫った。私の米国人の友人・知人はバイデン支持一色で、トランプを応援する人は少なくとも表向きには一人もいない。

 米大統領に関する私のリアルタイムの記憶はニクソンに始まり、それ以来、米国が最も輝いていたのはクリントン政権時代である。レーガノミクスの財政赤字を見事に解消し、北アイルランド問題や中東和平でクリントン大統領は平和外交を展開した。

 日米教育委員会がまとめた米国への日本人留学生数のグラフを見ると、同数の多い年とクリントン政権時は見事に一致し、1997年にピークを迎えている。 私がフルブライト奨学生として米国大学院に留学したのも、この時期だった。留学生活があまりにも楽しく充実していたので、本当に帰国したくなかった。だが同奨学金の受給条件として学位取得後に2年間の帰国義務があった。その後ブッシュ息子政権になって、時代ががらりと変わり残念で仕方なかった。

 クリントン夫妻はどんな人物なのだろうか。あらためて興味がわき、彼らの自伝を読んで報道やデータもチェックしてみた。

 ビルは46歳で大統領の地位に上り詰め、前職のアーカンソー州知事には32歳の若さで就任した。だが華々しい経歴や明るい笑顔からは想像できないほど、不幸な生い立ちである。

 出生前に実父を交通事故で亡くし、アル中の継父の暴力を受けて育つ。その一方で母方の祖父は、人種隔離が通常だった当時の南部では珍しく、自ら経営する食料品店で黒人の顧客も受け入れるなど進歩的だった。こうした生い立ちから、ビルは社会の在り方を深く考え、世の中をよくしたいという強烈な思いが生まれたに違いない。16歳の時にはすでに、将来は政治家になると決めていた。医者や経営者一族ではなく、庶民でこれだけ人生の早い時期に、ここまで明確に人生の目標を決められる人はそういない。

 問題を抱えた継父の稼ぎは多くはなく、母親は看護師だった。それでもクリントン一家が中流階級の大きな家に住めたのは、継父の兄にあたる伯父の経済援助があったからだ。それでも母親は夫の暴力に耐えきれず息子を連れて離婚。だが夫に懇願されて元のさやに戻る。

 両親が正式に「再婚」する直前に、ビルは15歳にして一人で裁判所へ出向き、自分の姓を実父の姓ブライズからクリントンに改姓する。裁判所は確認の電話を母親に入れ、母は承諾した。未成年者が独自の判断でこのような行動を取るとは驚きだ。その理由だが、継父と母の間に生まれた弟が小学校に入学する前に同じ姓にしたほうが、弟への要らぬいじめを防げるだろうと思ったという。あるいは単純にほかの家族と同じ名前になりたかったのかもしれない。継父を喜ばせることをしたかった、とも。

 だが本当の理由は、言い方は悪いが金づるの伯父を含むクリントン家への敬意を示すことで、お金のかかる大学進学を確実にしたかったからではないだろうか。実際、母親が夫の元へ戻った理由は、自分の収入だけでは息子を育てるのに不安だったからだ。クリントン姓を名乗ったことは、文字通り名より実を取る政治的な判断だったのではないか。

 実際、ヒラリーもこう語っている。「ビルは一度も私にクリントンを名乗るよう言ったことはない。私は結婚後も長らくヒラリー・ローダム(出生名)で通していたが、ビルの知事在任中に、要らぬ誤解を避けるためにクリントン姓も加えたほうがいいという周囲の助言があり、そうすることにした」

 ビルの成績は地元の公立高校の同期生327人中の4番でSATのスコアもよく、アイビーリーグの難関校も狙えたが、志望校はジョージタウン大学外交学部一択だった。政治家になるためにはワシントンDCにいる必要があると思ったからだ。そして大学2年で見事フルブライト上院議員が委員長を務める外交委員会のスタッフとして働くことになり、給料で経済的な自立も果たす。

 一方のヒラリーは、母親が孤児で祖父母にひどい扱いを受けて育ち、まともな学校教育も受けさせてもらえなかった。こうした話を聞いて育ったため、恵まれない子供や女性の自立を支援する活動をしたいという強い思いはあった。しかし法科大学院を卒業後にこうした活動に従事してはいたものの、自伝の中で何度も「将来に何をしたいのか、わからなかった」と書いている。

 母親の生い立ちは不幸だったが、ヒラリーの父親が起業に成功したため家庭は裕福だった。シカゴ近郊の素敵な住宅街に住み、夏は毎年湖畔の別荘で過ごし、ヒラリーはお嬢様大学のウエルズリー大学に進学。卒業後の進路に法科大学院を選び、ハーバードとイエールの両方に合格した。だがハーバードでの内定者会合で教授から「女子学生が増えるのはイヤだ」と言われて憤慨し、イエールに行くことにした。

 ビルの女性遍歴に関しては、家族的な背景もあるかもしれない。実父は実母と結婚する前に3度の離婚歴があり、継父は2度の離婚歴がある。ヒラリーと出会う前に、彼は多くの女性との交際経験があった。おそらく美人でカワイイだけの女性には物足りなかったのだろう。ヒラリーに魅かれた理由は見た瞬間に「強くて自律的」に思えたからだという。

 恵まれない子供や働く女性への支援という点で、ビルとヒラリーは政治的な関心や価値観が見事に合致し、とても話が合った。ビルはヒラリーと結婚したくてたまらず、数え切れないほどプロポーズをしている。法科大学院を卒業後、ビルは地元アーカンソー州に戻って政治活動を開始し、ヒラリーは東部で働きながら飛行機で時々ビルに会いに行っていた。

 ビルが空港まで車でヒラリーを送る中、彼女はふと車窓からレンガの家を見つけ、何気なく「素敵なお家ね」と言う。それを聞いたビルはその家を買って家具と寝具を搬入し、次回にヒラリーが訪ねてきた際に再度プロポーズする。「あなたが素敵だと言っていた家を買ったよ。自分ひとりでは住めないから、結婚してくれないと困る」(この家は現在、クリントンハウス記念館として一般公開されている。)

 こうした強硬手段に出るほど、ビルはとにかくヒラリーと結婚するために必死だったことがわかる。もちろん二人は価値観や話が合っていたが、それと同時にヒラリーが優秀で実家が裕福だったことが関係していると私は思う。結婚して所帯を持てば、それ以上は伯父さんの経済援助を期待するのは難しい。政治家は当選しなければ仕事がなく、本質的に不安定な職業である。その生活を支える新たな金づるとして、ヒラリーが欲しかったのだろう。実際、大統領になるまでの間、ヒラリーが弁護士として働き、一家の大黒柱としてビルよりもはるかに稼いでいた。

 ホワイトウオーター疑惑にしても家計を安定させる目的で、ヒラリーが始めた不動産投資だった。だが仕事や子育てで忙しく細かく状況を追うことができないうちに、いつの間にか騙されていて損失を出してしまった、と彼女は語っている。収益どころか損を出し、全くやましいことはしていない。進歩的なクリントン大統領を引きずり下ろそうとする右翼の陰謀によるでっち上げに過ぎず、迷惑千万も甚だしい、と。

 モニカ・ルインスキーとのスキャンダルに関しては、彼女のほうがビルに夢中だった。モニカには以前から既婚男性と関係を持つ性癖があり、ビル・クリントンがいかに魅力的だったかをうれしそうにインタビューで語っている。彼女のほうから近づき、ビルが応じた形らしい。ビルはヒラリーにはこの不適切な関係を隠してウソをついていたが、ばれた時には彼女の前で泣いてしまった。

 ヒラリーはこう述懐している。「私たちの結婚は続けていけるのか、いくべきなのか、かなり悩んだ」。だがビルと出会う以前から、彼女は結婚した相手とは一生添い遂げると決めていた。そして二人は夫婦である以上に、政治的な価値観を共有する運命共同体である。

 事実上の副大統領はヒラリーだったと思わせるほど、ビルは彼女の助言を聞いて採用している。二人はいつでも、お互いのスピーチ原稿に手を入れてアドバイスしていた。ビルが大統領選に出馬した理由は民主党本部に要請されたからで、アル・ゴアを副大統領候補に決めたのも党だった。それまでクリントンはゴアをほとんど知らなかったという。クリントン・ゴアの組み合わせは完全な「政略結婚」であり、ヒラリーの自伝にゴアはほとんど登場しない。 (敬称略)

2020年10月25日日曜日

Book Review: My Life, by Bill Clinton (WIP)

While my memory of reading an autobiography by Hilary Rodham Clinton is still fresh, I have embarked on another adventure of hearing her husband's side of the story in his memoir "My Life." 

Bill Clinton had unfortunate childhood -- his biological father (William Jefferson Blythe Jr.) was killed by a car accident while his mother (Virginia) was still pregnant, and his stepfather (Roger Clinton Sr.) since he was three was alcoholic and violent. He recounted that his "daddy" even fired a gun toward him and his mother, though it barely missed. 

I was curious how he rose to the very top from this terrible background. Reading this book, I realized that it would have been the agony that made him sensitive to the pain of others and question how society should be. At elementary school, he was most interested in reading about Native Americans and their struggle. 

Bill was raised by his grandparents until three because her mother lived in another town to learn skills to become a nurse anesthetist and raise family income. His grandfather, who ran a grocery store, treated people equally and accepted black customers as well. That was very rare in the South where segregation was still the norm. He grew up playing with other children, white and black, and naturally cultivated a sense of equality. 

While problematic Roger did not earn much income, his elder brother Raymond was fairly successful and financially supported Roger's family. That's why they were able to live in a middle class house. Meanwhile, Roger's violence escalated. Virginia, Bill and his half brother Roger Jr. finally ran away and moved to a smaller house that Virginia purchased. She then divorced her husband, but Roger Sr. was upset and pestered Virginia to come back. Bill opposed, but Virginia accepted and they remarried in part because her income alone may not be sufficient to raise her sons.

Shortly before the family got together again, at the age of fifteen Bill changed his family name from Blythe to Clinton, visiting a local court on his own. He recounts that part of the reason is that having the same last name with his half brother before he enters elementary school would be better to help prevent unnecessary abuse at him. Bill might have wanted simply to have the same name with other members of his family, or do something that would please Roger Sr. 

That may be true, but I also assume Bill wanted to show his gesture to appreciate the larger Clinton family including his step uncle Raymond for their financial support that he would needed to attend university. At the age of sixteen, Bill had already decided to become a politician, and in his senior year at high school, Georgetown University was the first choice despite its high tuition. That is because he believed he needed to be in Washington as a first step toward his career goal. 

This memoir is extremely detailed, like every person he met and each episode he experienced appear. I agree with a reviewer on Amazon saying that his editor should have organized the book wisely. In my view, Hillary is a much better writer or at least must have a better editor, but she might have been too busy as Senator to help her husband on this book. That said, these pieces of information help me understand the context of what's reported in the media about Bill Clinton. I could also relate to him about an episode that he was stung by wasps while gardening. 

To be continued...


 

2020年10月24日土曜日

教養+審美眼+資金=最強の法則

  中曽根元首相の葬儀が先日行われ、国費支出や教育現場の弔意表明をめぐって話題になっていた。

 中曽根氏は東京郊外の別荘に各国要人を招いて独自の外交を行っていたが、政界引退後にこの「日の出山荘」を所在地の日の出町に寄贈し、現在は記念館として一般公開されている。

 日の出山荘は私の地元にあり、1983年にレーガン大統領(当時)を招いて「ロン・ヤス」会談を行って以来、すごく気になっていた。中曽根氏の葬儀であらためて思い出し、私もようやく時間ができてお天気もよかったので訪ねてみた。

 行ってみると別世界だった。専用駐車場から山の中の整備された舗道を300メートルほど歩いて登る。広大な敷地に藁ぶき屋根の古民家(青雲堂)、小さな2部屋だけの離れ(天心亭)、バブル時代の1989年に竣工した西洋風の家(書院)、プール、散歩道がある。

 天心亭は日米首脳会談を文字通り膝を詰めて行った場所で、日常的には中曽根氏が寝泊りしていた。平屋で24.79平米しかなく森の中にひっそりと佇んでいる。だからこそ木々のさざめき、雨音や鳥の声がすぐそこに聞こえる。

 書院はそれとは対照的な吹き抜けのある大きな洋館で、広々としたリビングルームに大きなソファがあり、隣室は8人掛けのダイニングになっている。壁に飾ってある油絵や書は全て中曽根氏の作品だ。

 小さな山全体が敷地となっており、窓から見える風景もすべて自分の所有物である。幹線道路や付近の住宅から離れて静寂が保たれている。

 こうした静かな環境でありながら、首相官邸から58キロの距離で日帰りでも余裕だ。軽井沢や箱根といった有名な別荘地でもないので、面倒なつきあいもなく休養や読書に集中できたのだろう。

 東京都内にして、この壮大な隠れ家。ヨーロッパの城や宮殿、京都の寺、カリフォルニアにある大富豪のHearst Castle、ニューヨークのトランプタワーなど、これまで様々な豪邸や建築物を見学してきたが、それらとも違う独特の感覚である。

 中曽根氏の教養と審美眼を体現したもの。日の出山荘の家屋や敷地の管理にかかる費用は年間890万円で、個人所有となれば固定資産税もかかる。吹き抜けを作ると電気代がかかるとか、そういった庶民的な感覚を超えた物件であることは間違いない。相当なお金持ちでないと維持できないが、彼の実家は群馬の裕福な材木商でそれを可能にした資金力もあった。こうした三拍子が揃った人物は中々いない。

 個人的な意見だが、トランプタワーのギラギラした装飾には趣味の悪さしか感じられず、所有者の教養のなさが如実に表れている。フランスのシャンポール城やベルサイユ宮殿も似たようなもので、ただただお金があることや権力を必死に見せびらかしている。

 これとは対照的なのは京都の古寺で、無駄を省いたミニマリスト的な価値観がやや行き過ぎて圧迫感を感じることもある。

 人間が心からリラックスできる環境を具体化したもの、それが日の出山荘である。こうした空間を私も追求してみたいものだ。 



Japanese Camp David: Prime Minister Nakasone's Hinode-sanso

Fifty-eight km (36 miles) west of his official residence, Prime Minister Yasuhiro Nakasone owned a favorite retreat called Hinode-sanso (Hinode is the name of the location; sanso means mountain villa in Japanese.) He often found his way to this secluded spot to escape the hustle and bustle of his busy life as a politician and find peace and quiet.

He also invited many eminent guests to the villa, including foreign dignitaries such as U.S. President Ronald Reagan, Soviet President Mikhail Gorbachev and South Korean President Chun Doo-hwan. As such, Hinode-sanso served as a venue where leaders were able to relax and talk in a natural environment, similar to Camp David in the U.S.

After retiring from his political career, PM Nakasone donated the villa to the local government Hinode Town in the Tokyo Metropolis in 2006 so that it has been turned into a museum open to the public. 

Because it is located in my neighborhood, I had been very curious about this place ever since PM Nakasone hosted President Reagan there in 1983. I finally had a chance to visit today.


Occupying some 25,000 m2 (2.5 ha) of land, the villa consists of three buildings: the Seiundo residence, the Tenshintei cottage and the Shoin house, set in gardens providing background colors that change with the seasons.

The entire property is well maintained, and exudes a special aura that you can feel only in the venue, something that pictures cannot convey. It is a different world, and I was impressed by PM Nakasone's aesthetic sense and good choice of the location.

In this small room of the Tenshintei cottage,
President Reagan and PM Nakasone had a one-on-one talk, calling each other "Ron" and "Yasu." To commemorate their great relationship, a local confectionery store Koshindo has even made "Ron-Yasu manju (steamed bun)," which is still available today. I thought it was a perfect setting for them to speak their minds. 


The Western-style house Shoin was built in 1989 and functioned as a guest house. After stepping down as Prime Minister, Nakasone invited colleagues who shared good times and bad. He entertained his guests in a style reminiscent of the blending of East and West that characterized the Meiji Period, performing a tea ceremony in the traditional Japanese setting of the Seiundo or Tenshintei, and then serving Western-style meals on the spacious balcony of the Shoin.



A picture of Mt. Fuji pained by PM Nakasone


PM Nakasone's study upstairs


This picture tells the two leaders very much enjoyed each other's company. Looks like "Hinode-sanso diplomacy" was very successful.

I really enjoyed exploring this special place, and hope anyone who is interested in Japan-U.S. relations and international affairs would feel the same way. You can easily go there in a day's drive from central Tokyo.

2020年10月13日火曜日

鈍い人間だけが幸せなのか?

 岡本太郎は言った。ニブい人間だけが「しあわせ」なんだ、と。

 その通りだとは思う。幸せとは現状に満足している状態だ。

 世界の現状はどうだろうか。

 世界最大の経済大国のトップがマスクもせず、米フロリダ州サンフォードの3密空間で集会を開催し、開口一番"Hello Orlando"といきなり都市名を間違えて演説を始める。

 ヒラリー・ローダム・クリントンの自伝を読むと、彼女が見聞きした信じがたい話がこれでもかと出てくる。旧ソ連時代のルーマニアでは人口増加政策のため避妊や中絶が許されず、女性には警察監視による職場の「定期健診」が義務づけられ、妊娠が確認されると出産するまで当局に監視された。このため貧乏な家庭にも子供が多く生まれ、孤児院に引き取られた。だが孤児院でも子供に十分な食事を与える資金がなく、チャウセスク政権は栄養失調の子供に輸血して栄養補給するという政策を取った。その血液がHIVで汚染されていたため、子供の間でエイズ感染が爆発的に広がった。

 21世紀の米国では最高裁判事に中絶反対の人物が指名され、ホワイトハウスで開催された発表会ではコロナ感染予防の基本対策が行われず感染者が続出した。

 こうした現実を知りながら幸せだと感じるには、かなり鈍くなければ難しい。

 その一方、いつでも満面の笑みをたたえて幸せいっぱいのパワーを炸裂させる人々もいる。私の周囲では、先進国の中流~上流家庭の出身で保守的な考えを持つ美人女性によくみられる。そのほかには、世の中や周囲のよい面を見つけようと努力して、発見した物事に感謝した結果、幸せそうな人もいる。

 ただ、無理をして幸せを演じるのはよくない。いつも感じがよく笑顔の絶えない人が突然重い病気にかかったり、自らを自殺に追い込む例は珍しくない。現在発売中の週刊文春によれば、最近自殺した女優の竹内結子は多忙にもかかわらず周囲の協力を得られず、家政婦も雇わないでかなり無理をしていたらしい。

 現状に問題があれば、見て見ぬふりをしたり感情を押し殺して幸せを演じても長続きはしない。疲れたら周囲の目を気にせずダラダラ過ごしたり、世の中の嘆かわしい現実を変えていくための問題提起や解決方法を模索することが必要だろう。(敬称略)

2020年10月10日土曜日

沖縄・石垣島への「海外旅行」から学んだこと

 Go Toトラベル第二弾として沖縄の石垣島を選んだ。離島では10月でも気温が高く海で泳げるし、直前の天気予報も晴れだったので急遽予約した。その後突如として台風が発生したが、どうにか進路が外れた。

 前回の沖縄旅行では11月にもかかわらず季節外れの台風が直撃し、かなり以前から予約していた体験ダイビングもキャンセルになり、ホテルでテレビを見ていた。こうした事態を避けるため天気予報を確認して行ったわけだが、それでも現地に行かなければわからないことが多々あった。

 石垣島は東京から2000㎞近く離れ、台湾までわずか250㎞。だが日本の国土であり、全ての子供が歩いて学校に通えるよう島全体に小中学校が散在し、全校生徒7人しかいない学校もある。それだけ国費をかけて日本人を育成する教育を隅々まで施している。観光タクシーの運転手さんは話が上手で、最後に料金を支払ったときにお土産としてストローで自ら作ったエビのオブジェをいただいた。とても素敵で芸術的なセンスが感じられた。


 羽田から直行便でも3時間かかり、物理的には久しぶりに「海外旅行」をした感覚だったが、現地の人々は日本語を話し、日本特有のサービス精神がある。その一方で亜熱帯気候のため、関東地方では想像もつかない多種多様な生物がいる。

 現地のセミは明らかに関東のセミとは違う鳴き方で、4月中旬~12月まで大合唱をしている。海にはハブクラゲがいて遊泳中の人を刺し、ショック死した小児もいる。巨大なハチや蛾、布団に入り込んで人を刺す細かい虫もいる。

  海に囲まれているため天気が変わりやすく、天気予報はほとんど当てにならない。このため予報をもとに計画を立てたところで、予定通りには行かない。いいお天気だから海水浴をしようとしても、いったん海に入ってみると外からは想像もつかないほど波が強い。 

 日本でありながら、東京周辺とはまったく環境が違う。 

 これと同じような状況が思い浮かんだ。同じ大組織に属していても各機関によって驚くほどの違いがある。例えば、米政府には日本の外務省にあたる国務省など様々な官庁がある。米政府での16年間の勤務中、私は最初の12年間を国務省、その後4年間を商務省で働いた。

  その体験から言うと、国務省は東京、商務省は沖縄というほどの違いがあった。どんな違いかと言えば、国務省は人間が支配し、それ以外の生物はいても人間にコントロールされている。これに対して商務省には人間だけでなく、都市出身者には想像もつかない生物も跋扈している。 

例えば、当時の上司が最近海洋大気庁(商務省の一部)50周年の職員インタビューで紹介され、その内容は驚くものだった。バージニア工科大学に進学したものの授業をサボっていたため成績が悪く、4点満点の評定平均値で2.5をクリアできなかったため退学になった。両親は10代で結婚したが離婚し、働いていた母親の代わりに妹が食事を作っていたが、とてもまずかった。こうした経緯もあって妹とはうまく行かなくなった。妻はメキシコ人で渡米25年の今でも故郷が恋しくてたまらない。その彼女に「もう適応していい頃だ」 と言い放つ。

国務省の上司や同僚には、こうした感覚の人はいなかった。怠け者で成績が悪かったため退学になった話など、そういう過去があったとしても決して他人には言わないだろう。妹に関するエピソードでは食事を作ってくれたことへの感謝もなく、それを当然と考えて文句をつけるなど男尊女卑も甚だしい。さらには外国人と結婚していながら、年を取るほど母国が懐かしくなる感覚を理解できないのだろうか。上級管理職がこうしたエピソードを含む私生活の詳細をインターネットで全世界に公開するというのも、危機管理や組織の体面という観点から国務省では考えられない。 

商務省にはほかにも「珍しい生物」に遭遇して度肝を抜かれ、ハチやクラゲに刺された一方、人格的に優れて専門分野に詳しい人物も少なくなかった。 

そもそも商務省へ行った理由だが、私は国務省の日本人職員として最高の地位にいたので、米政府内で昇進するためには、より上のポジションのある商務省に移籍する必要があった。そして昇格人事の空席に応募して採用され、見事目的を果たしたのだが、行った先は米政府でありながら国務省とは似て非なる環境であった。

いわば東京近辺しか住んだことがないのに、いきなり沖縄に移住したようなものだ。商務省に関してできる限りの情報収集をしていたものの、実際にそこで働いてみなければわからないことが山のようにあった。内部の人から事前に話を聞いても、当事者は自分の組織の恥さらしになるようなことは言わないものだ。天気予報を随時チェックしても現実は時々刻々と変わるため、最近の予報など当てにならない、ということも当てはまる。トランプという前代未聞の巨大台風にも巻き込まれた。

 正直なところ、昇進したいと向上心を持たず、土地勘のある東京近辺にいたままのほうがよかったかもしれない。だが良くも悪くも、海外には行ってみないとわからないことが多く、知られざる現実を知ったことで経験値が高くなり視野が広がったとは言える。

2020年10月2日金曜日

"Go To Travel" encourages economical enjoyment for Tokyo residents

On October 1, I rapidly took advantage of the government's domestic tourism subsidy program "Go To Travel" which has included Tokyo since that day. 

I chose to stay at "Henna Hotel," meaning a strange hotel. This is the world's first hotel chain where robots serve customers. For this reason, it is listed in the Guinness Book. Ever since it opened in Akasaka, Tokyo in 2018, I had been very curious, so this stay was a dream come true.


To check in, I touched a tablet in front of the female receptionist. In response, she said "Welcome." After confirming my name, address and phone number, the robot assigned my room and issued its card key. Then she mentioned "We hope you enjoy your stay."

In order to receive a coupon under the Go To Travel campaign that you can use at local shops and restaurants, I showed my ID to a real human receptionist because the robots were not able to do this irregular job.

The hotel looked brand new, and the room was spotless. It was compact (13 m2 =140 sf2) but not too small, and had everything you need -- a semi-double bed; a sofa; a table; a refrigerator; a kettle; a tea bag; slippers; a nightwear; a Panasonic Ionity hairdryer; a huge-size TV; and LG Styler, a machine to get rid of dusts and odors from clothes. 



A construction was going on in the neighborhood, but the window was soundproof, so the room was quiet. On the ground floor, there is an Irish pub. You can eat breakfast and dinner there at a 10% discount by showing your room key. 

For checking out, I inserted the key into the machine, and that was it. The male robot said "Thank you, we look forward to serving you again."

All in all, I liked this interesting, cozy and affordable place -- for one night stay, I paid only JPY2,093 ($20) all inclusive; the original price was JPY5,250 ($50). In addition to the 35% discount of the Go To Travel campaign, I benefited from another coupon and points of Rakuten Travel where I made a reservation. 

Furthermore, I received the additional Go To Travel coupon of JPY1,000 ($9.5) that I could use at a local shop or restaurant. There were still a limited number of places that accepted the coupon, but Lawson convenience store was one of them. I used it to buy some food and drink.

October 1 was Tokyo Residents' Day as well, so admission was free at many facilities operated by the Tokyo Metropolitan Government. I visited the Jindai Botanical Gardens. While it was between high seasons of flowers, it was great for forest bathing. 


The weather was perfect, and I fully enjoyed the rich experience in a very economical manner.