私は1999~2001年まで米国に留学し、その後10年以上東京で米系の組織に勤めている。この間1年間ロンドンにも住み、ハワイに休暇で二度ほど訪れ、最近半年は頻繁にアジア諸国に出張した。
だがアメリカ大陸に足を踏み入れたのは、7年ぶりだった。その印象としては。。。
レセプション、長い列に並ぶときなど、周囲にいる人々が自然と話し出して盛り上がる。こういう時、つい知り合いとしか話さない傾向にある日本人の集まりと比較して、いい意味でアメリカらしいと思う。
明るい人が多い。なにか素晴らしいことを話すときの感情移入、テンションのレベルが格段にほかの国・地域の人々(日本、ヨーロッパなど)よりも高い。
どうしてこうなのかと自分なりに考えてみた。勝手なこじつけかもしれないが、アメリカは若い国なので、例えば欧州や京都のように圧倒されるような目に見えてわかりやすい、建物自体が語りかけてくる歴史遺産がほとんどない。先進国なので設備の整ったクリーンな施設が多いが、そういった意味でどことなく周囲の環境に物足りなさが残る。
このため、人間が自らエネルギーを発して盛り上がらない限り、平板なつまらない環境だけが強調されてしまう。
動物を扱うドキュメンタリーの写真や映像の選び方にも、日米で違いが表れる。国立公園に棲む動物のテレビ番組を帰りの飛行機で見たが、山猫の表情一つとっても、日本では「かわいらしさ」がほとんど唯一の判断基準なのに対して、 米国の番組ではその動物が何を考えているかがにじみ出てくるような写真が多い。
興味深いことに、ワシントンDCにはイギリス人以上にシェークスピアを熱心に研究したアメリカ人のつくった、世界最大のシェークスピアライブラリーがある。米国には研究対象となる歴史遺産が限られていることを物語る例といえよう。結果として現在生きている者の行動が重要視され、意志の強さ、その裏返しとして時折の自己中心性、個人の好みの選択肢の多さ、多様性となって表れる。
それに対して、古い国は歴史を紐解くだけで面白い事実や時代を超えた真実が見つかり、着物やお茶、短歌、和食、ワイン、クリケット、スヌーカーなどに耽溺していればよい。それは受け身な作業であり、シリコンバレーの起業家がフェイスブックやアイフォンを考案するといった、今に生きる人間が自ら何か根本的に新しいものを造り出していくこととは異なる。
