天皇陛下は若い頃からビオラを弾き、今年はモンゴル訪問の際に現地で演奏も披露した。
チャールズ国王はニンジンでできたリコーダーを吹いた動画があり、チェロを弾くという情報もあったが、今上天皇のように演奏会で楽器を弾くシーンは見当たらなかった。
昭和天皇やエリザベス女王は楽器を弾かなかった。
モーツァルトやベートーヴェンが活躍した時代でも、支配層は聴く側だった。貴族やブルジョワは演奏ではなく鑑賞と patronage(後援)を担っていた。演奏するのは使用人階級の音楽家、聴くのはサロンの主人や客。つまり音楽を“労働”としてではなく、“作品世界を体験する知的遊び”として扱っていた。
あくまで想像なのだが、第二次大戦に勝利した連合国側は欧州の王室>日本の皇室というヒエラルキーを作り、そうした雰囲気を醸し出すために、何らかの提案や示唆をしたのかもしれない。少なくとも結果的には、そうした構造に見える。
先日「クラシック音楽鑑賞の本質的な楽しみ方」というブログ記事を書き、そもそも私は楽器を弾くことにはあまり興味はなく、むしろクラシック音楽の鑑賞にはデメリットになると考えている、と述べた。
自分で楽器を弾くとなると、そこが鑑賞するうえでの基準にもなってしまうだろう。そのためベルリンフィルやウィーンフィルといった超一流の演奏というよりは、自分より少し上手な演者を日常的に参考するようになる。そうした演者は超一流というわけではないが、それでも自分よりは上手なので、結果として鑑賞する基準は甘くなる。
例えて言えば、中学英語でつまづいている人にとっては、関係代名詞を理解して正しく使えるレベルをまずマスターする必要があり、そのレベルに達している人をすごいと思うだろう。
その一方でTOEIC980点を何度も取ったが、どうしても満点の990点に届かない学習者の課題は、頻度は高くないものの時々出てくるオーストラリア英語の聞き取りだったり、より速く正答を導くためのテクニックだったりする。
両者では目指すレベルやすごいと感じる内容が全く違う。
ただ英語をほとんどできない人であっても、通訳を介せば英語ネイティブと会話することはできる。むしろ単語を覚え、文法を理解し、読み書きや会話の練習をするといった膨大な学習の手間暇をかけず、話す内容に集中することによって、より充実した会話をできる可能性もある。
楽器の話に戻ると、日本では富裕層が「〇歳からバイオリンを始めた」と言うなど“楽器を弾ける=文化的で立派”のような幻想がまだ残っている。だが冷静に考えれば、その時間やエネルギーを旅や読書、優れた演奏の鑑賞、創作などに振り向けたほうが、ずっと広い世界に触れられる。
結果として「自ら演奏しないこと」が最も洗練された鑑賞者への道なのだ。