これはかなり珍しい。ブラームスの曲目を多く演奏される順に並べると、交響曲第一番>交響曲第四番>交響曲第二番>バイオリン協奏曲>>交響曲第三番>>>>>>>>ピアノ協奏曲(第一番・第二番)というくらい、ピアノ協奏曲の演奏は第一番・第二番ともほとんど行われない。
このため誰の演奏だろうが、とにかくブラームスのピアノ協奏曲の生演奏を聴きたいと思い、さらには最前列中央といういい席で9220円(手数料込)と手頃だったのでチケットを入手、3月13日にサントリーホールへ足を運んだ。
ブラームスのピアノ協奏曲第二番という演目のみにこだわっていたので、演者は当日プログラムを見て確認したほど気にしていなかった。ピアノソロ・河村尚子、山田和樹指揮・読売日本交響楽団による、河村氏のサントリー音楽賞の受賞記念コンサートだった。
聴いてみて「ああ、この曲はすごく難しいんだな。そうか、だからあまり演奏されないのか」と納得した。
私が家で聴いて親しんでいる演者はDaniel Barenboim、Krystian Zimermanなど世界トップレベルとされるピアニストである。例えて言えば、五木ひろしや八代亜紀があまりにも自然に歌うので、無名歌手によるカバーを聴いて初めて演歌の大御所の偉大さを知る、といった感覚だろうか。
ブラームスの二つのピアノ協奏曲のうち、第一番はわりと理解しやすい。第一楽章:絶望、第二楽章:安らぎ、第三楽章:動揺→希望といったところ。
これに対して、ピアノ協奏曲第二番はブラームスがメンタルを病んでいたのではと思うほど構成がメチャクチャでわかりづらい。
第一楽章は牧歌的で希望にあふれる感覚で始まるも、雲行きがあやしくなり、再び希望が現れ、疾風怒濤で締めくくる。
第二楽章は苦悩と争い。
第三楽章はピアノ協奏曲第一番の第二楽章と勘違いするほど、似たような安らぎを感じさせるものの、ずっと心中穏やかというわけでもなく、葛藤も感じさせる。朝日が差し込むベッドでまどろむ満ち足りた二人。心の中には様々な思いが渦巻く、みたいな感じ。
第四楽章はあまりにも唐突で、第一楽章~第三楽章とどうつながるのか、さっぱりわからない。
そもそも曲自体にまとまりがなく、だからこそと言うべきなのか、人間の感性がむき出しになるような場面がちりばめられ、そこらへんをていねいに美しく奏でることが、この作品のキモという感じがする。そうした積み重ね+全体を俯瞰したバランス感覚によって、曲自体のまとまりのなさを凌駕し、リアリティーをもたらす。私が親しんでいる一流ピアニストと欧州有名オーケストラの競演には、そうした趣がある。
しかしながら、河村氏の演奏には「あれっ」というような乱れが散見され、それが一つの原因となり、全体的に完成度の低さを感じさせた。ディテイルも独特の魅力に乏しい。ただ第三楽章のチェロのソロとのやり取りはよかったと思う。
そもそもベルリンフィル、ウィーンフィル、それに準じるオーケストラや演者とは、チケットの値段が違うのだから、違いがあって当然だという当たり前の事実に気づいた。
例えて言えば、アメリカで韓国人が経営している寿司屋に入って「なんだこりゃ、東京の店とは違う!」と言っても、「そらそうよ」ということなのだ。
結論として、世界トップクラスの演者に慣れ親しんだ向きは、そうでない演者のコンサートにはライブという理由だけで行くよりも、スピーカーやアンプ、高画質モニターなど家で楽しめる環境にお金をかけたほうがいい。
