12月7日、8日にサントリーホールで行われたベルリン国立歌劇場管弦楽団の公演を鑑賞した。
当初の予定では、ブラームスの全交響曲(第一番~第四番)を同楽団の音楽総監督ダニエル・バレンボイム氏の指揮で2日間に亘って通しで演奏する(7日が第一番・第二番、8日が第三番・第四番)という内容だった。バレンボイム氏はベルリンフィルのデジタルコンサートでもなじみがあり、私は第一番から第四番まで時系列で全曲を聴けるものと楽しみにしていた。
一カ月半前に指揮者と曲順変更
しかしながら、あいにくバレンボイム氏の病気によって指揮者がクリスティアン・ティーレマン氏に代わり、1日目の演目の順番が第二番→第一番に変更になった。
日本を含むアジアツアー全体がティーレマン氏の指揮に変わったことで、韓国ではチケット払い戻しに応じたが、日本では応じなかった。
ドイツの国立楽団が日韓でこのような差別待遇をするのもいかがなものか。日本人はおとなしいとバカにしているのか。これが逆で日本でだけ払い戻しに応じたら、韓国人は激怒して国民運動にまでなるんじゃないか😂。
自分がチケット払い戻しをしたいかどうかは別として、日本の観客にも払い戻しの選択肢を用意すべきだと、私は日本の主催者である株式会社テンポプリモに問い合わせのフォームに書いて送った。しかしながら返答はなく、ベルリン国立歌劇場管弦楽団のOrchestra Director宛に状況と上記意見を述べたメールを出したが、なしのつぶてだった。
12月7日はA席(30,000円+手数料220円)、8日はS席(35,000円+手数料220円)のチケットを入手して心待ちにしていたが、この反応にはがっかりして気分が萎えていた。
ブラームス交響曲第二番→第一番の理由
とにかく当日は会場へ赴き、初日の公演を聴いたところ、曲順変更の理由は理解できた。ティーレマン氏の演奏は非常に激しく鋭角的なフォルテ部分が特徴的で、私が思うに、この手法は牧歌的なブラームス交響曲第二番には合わない。それに加えて最終楽章の盛り上がる部分はあまりにも拙速でヒッチャカメッチャカという印象だった。もっと言えば、彼は第二番が好きではないのかもしれない。
これとは対照的に、二曲目として演奏された第一番は彼の手法がフィットして全体としてよくまとまっていた。日本主催者と楽団幹部への不満から、私は心理的に引いた状態で初日の公演を聴いていたが、帰りの電車の中や翌朝になって冷静に振り返ると、少なくとも第一番はかなりいい演奏だった。
ティーレマン氏としては、自分がより得意として自信を持てる第一番でサントリーホール初日の公演を終えたかったのかもしれない。もしかしたら、急に代役を振られて準備する時間が足りず、優先順位をつけるとすれば、ブラームスが長年をかけて練り上げた第一番をないがしろにするわけには行かない、という状況だったのだろうかとも想像した。
第三番の演奏は珠玉の名演
翌日は第三番→第四番の順番で行われた。ブラームス交響曲で最も演奏される曲目は第一番>第四番>第二番>第三番、という順だと思う。このため、私は第三番をライブで聴く機会がそれまでなかったが、あの第二番は何だったのかと思うほど、繊細な演奏で曲の細かい部分のよさを引き出し、その一方でフォルテ部分はきびきびと強調され、あれっと言うような間違いもなく、珠玉の名演だった。
ステージにいる楽団員の数は、ベルリンフィルよりもやや少なく、ダブルベースの位置がベルリンフィルとは逆で向かって左側だった。このため右側が少し空いていた。おそらく、こうした数の違いによって、ベルフィンフィルのほうが厚みのある演奏という印象ではあった。
しかしながら、ベルリン国立歌劇場管弦楽団の演奏に厚みがないというわけではなく、日本のオーケストラと比べると明らかに重厚感を感じられた。ベルリンフィルとの違いは、例えてみれば、羽毛布団にどれだけ羽が入っているかの違いであり、分厚い布団の価値はもちろんあるわけだが、羽毛が若干少なめの布団でも適切な用途はあり、決して羽毛の質や量をケチった安物ではない、といった感じかもしれない。
ティーレマンの好みは分かれる?
さてお待ちかね、私が掛け値なく何千回聴いたかわからないほど長年はまっている第四番の登場だ。ちなみに昨夜の聴衆は明らかにブラームスおたくが大半であり、第四番の終わり方からして、悲観的な人生観をベースとする人々である😂。一人で来ている男性が目立つ。年齢層はさまざま。女性は連れもいるが、男性の友達同士は皆無のようだ。カップルもあまりいない。ブラームスに入れ込むという感性は単独行動を好み、かなり冷静である一方、ちょっとしたことに傷つく、といった性格なのだろう😂。
演奏のほうだが、ふつうの指揮者であれば節目として強調する箇所もさっと流して続け、一呼吸置くところを1.5呼吸置き、そうして溜め込んだエネルギーを指揮者が強調したいクライマックスで炸裂させた。岡本太郎が言うところの「芸術は爆発だ」という感じ。それでいて余韻が消えて完全な静寂になった瞬間、それまでの演奏は正しかったと証明される。これほど饒舌で表現豊かな静けさは稀である。
曲全体が盛り上がっていくプロセスは乱れそうで乱れないギリギリの線を走る。持たせて、持たせて、腐る寸前まで熟れた果実がおいしい、みたいな感じ。
独特の感性を感じさせ、最後の〆もややテンポが異なりはしたが、だからと言って全体が乱れてはいない。こういう演奏があったのか。創造の余地はどこにでも存在するものだ、そう思わせてくれた。
奇をてらう感じではないが、個性的な演奏ではあり、首をかしげている観客も前列にいた。好みは分かれるかもしれない。私としては、何千回も聴いてきた曲にもかかわらず新鮮な驚きがあった。ベルリンフィルと比較される名門オーケストラだが、ベルリンフィルと同じではなく独特の味が感じられ、今後が楽しみになってきた。
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