2019年1月19日土曜日

小学校の書道展から見えるもの

 港区立A小学校は週末、区内在住・在勤者に温水プールを開放している。こうした人々にお披露目すべく、廊下には子供の書いた習字の作品が飾られている。

 こうして見ると残酷にも、どの家の子ができて、どの家の子ができないか一目瞭然である。 

 3年生が長い半紙に書いた「お正月」 という文字がずらりと並ぶ。明らかに書道を習っていると思われ、お手本に近い文字を書く子供もいれば、「正」の字に思いを込めて強調した個性的な作品もある。大半の子供は自分の名前を漢字で書いているが、2人だけフルネームが平仮名だ。

 1・2年生は硬筆の作品である。1年生では自分の名前を全て漢字で書いている子は1人もいない。せいぜい1年生で習う漢字と平仮名の組み合わせである。

 そんな中、1年生なのになぜこんなにうまいのかと驚くような子もいる。これだけ理解が早い子供なら、自分の名前を漢字で書くくらいお茶の子さいさいだろう。おそらく学校側があえて、そうさせていないのだと思われる。

 こうして見ると、なぜ日本で飛び級がなく、アメリカでは珍しくないのかがわかる。

 小学校に上がる頃には、人間の優劣には驚くほどの差が出ている。すごくできる子、すごくできない子、その他大勢に分類される。すごくできる子は、わざわざ小中高に12年もかける必要がないのだろう。にもかかわらず、自分の名前を漢字で余裕で書ける子供にあえて書かせず、その他大勢に無理矢理合わせる。そして平仮名しか書けない子供を落第させず、みんなと同じ3年生でいさせる。

 すごくもったいない時間と能力の無駄という気がする。各人の持つ才能や得意分野を思い切り伸ばす教育を追求することで、日本は世界をリードするイノベーションをもっとできる。そのほうが全国民への大学教育無償化よりはるかに効率的に才能を開花させ、充実した人生や幸福につながると思う。

 「1年生になったら、友達100人できるかな」という歌があるように、日本の学校は個性を伸ばすよりも、みんなと仲良くすることに固執している。