2025年9月13日土曜日

激混みの大阪万博に考える皇室の存在意義

 秋篠宮父・息子が大阪万博を見に行くという。閉幕直前、ようやく涼しくなってきた祝日ウィークの予定。炎天下でも万博は激混み、さらなる混雑が予想されるタイミングで何なのか。開幕前か閉幕後で関係者視察の日程もあっただろうに。ヤフコメには迷惑千万というコメントがあふれている。当然だ。本当にこの家は国民の感覚や常識とかけ離れた行動が目立つ。

 万博の一件は皇室制度の存在意義を考えさせる。

 だいたい皇室、王室はただの特権階級であり、なくても社会は成り立ち、むしろ一般国民の伸びしろが大きくなる。皇室・王室という古臭い制度があるがために、それが理想像や目指すゴールという感覚を国民に与えかねず、自由な発想の妨げになっている。

 これとは逆に永続する既得権益という足かせががないことで、より発展的な社会が可能になる。そうした現象の一つとして、世界最大の経済大国アメリカに皇室や王室ははない。中国の社会制度の是非はともかく、中国にも皇室制度はないが、今や日本より勢力や存在感がある。韓国にもなく国民一人当たりの所得は日本を超えた。

 私は子供の頃から「皇室ってなに? なんでこんなにのんびりした変な話し方するの? なんでこいつらに様づけしなきゃいけないの? 私たちの税金で生活してるのに?」と疑問に思っていた。

 皇室や王室をありがたがる人々は自分たちも経済的に恵まれ、より上のお手本となるライフスタイルが見たい、あるいはただ単に慣性の法則で同じことを続けないと落ち着かない、神道という宗教の信者なのだろう。

 今上天皇や上皇は国民に寄り添う姿勢を鮮明に出してこられ、こうした姿勢は敬意に値するとは思う。ただ男系男子しか天皇になれない現行制度は明らかに女性蔑視であり、雅子さんは男の子を出産するプレッシャーに苦しめられて病気にまでなった。妊娠出産という人間がコントロールできない世界でいかにも理不尽な制度である。

 天皇が国民統合の象徴であるなら男女平等の制度にすべきだし、皇室にかかる費用の使い方の説明責任を果たしていただきたい。私はフランス革命のような暴力は望まないが、よりフェアで自由な社会を実現するため、皇室制度はいずれ幕を下ろしたほうがいい。

2025年9月11日木曜日

戦前を懐古する危険性

 最近の日本は移民激増、日本を搾取する米国との関税合意、増税による国民負担増と貧困化。さらには人権や言論の自由を抑圧する与野党の憲法案など問題が山積している。

 昭和の高度成長期を懐かしむ心理はわからなくもないが、政治や社会を戦前に戻そうとする動きは危険としか言いようがない。

 歯科医の吉野敏明氏は日本誠真会という政治団体を立ち上げ、大日本帝国憲法を復活させ昭和や戦前の日本に戻せば、現在の問題は全て解決すると主張している。四毒(小麦粉・植物油・乳製品・甘いもの)を避けた食事をすれば、全ての健康問題は解決できると毎朝YouTubeで説いて話題になっている人物だ。(同チャンネルには「四毒抜き」の効果を実感するコメントが多数寄せられているので、私も試したが体質に合わず、かえって不調になったのでやめた。)

 吉野氏は昨夜、チャンネル桜の討論番組に出演して耳を疑う発言をした。少子化問題を解決する手段として中絶を禁止、さらには女性を強制的に妊娠出産させることも可能だと。女性の健康や人権を無視する「女性は子供を産む機械」という発想に心底驚いた。

 同氏はこれまでも妻やスタッフに暴力をふるい、浮気や飲酒運転をしたと街頭演説で話すなど「誠実、真実、敬い」というスローガンと矛盾する言動がみられる。コロナワクチン、福島原発事故に関する疑惑や問題提起といった意義ある活動をしている一方、女性蔑視や人権無視の姿勢は非常に危険である。

 先日の参院選で議席を増やした参政党の憲法案も人権や言論の自由といった民主主義の基本がことごとく排除され、とんでもないことになっている。

 そんな中、医師の内海聡氏は人権と国益を守る政策を訴える数少ない立候補者として活動してきた。残念ながら当選には至らなかったが、今後とも健闘を期待したい。

 戦前回帰ではなく、よりよい未来のために人権と民主主義を構築しなくてはならない。

2025年9月3日水曜日

クラシック音楽鑑賞の本質的な楽しみ方

 ベルリンフィルのブラームス交響曲第四番を聴くため、最前列中央でサイモン・ラトルの真後ろの席を確保、週末に欧州へとんぼ返りした。あるいはブラームスがまさにこの作品を作曲した場所、オーストリアのMürzzuschlagを訪れ、現地の山並みを見て「ああ、そうか」と納得せざるを得なかった。

 その先のペルチャッハではブラームスの散歩道を行き、ヴェルター湖を眺める展望台がまさにこの地で彼が作曲した交響曲第二番とバイオリン協奏曲を聴ける仕掛けになっていることに感動。約20年という歳月をかけて第一番をついに書き上げて解放感を味わい、自然の素晴らしさに感動したあまり3カ月で第二番を一気に仕上げた気持ちを追体験した。

 こういう話をすると必ずと言っていいほど聞かれる。「ええっ、すごいですね。なにか楽器を弾かれるんですか?」

 たしかに私は子供の頃にオルガンを習い、高校の部活でギターを弾いたが、少しやっただけ。逆に聞きたいのだが、どうしてそういう質問になるのか。クラシック音楽鑑賞を趣味にするには、ピアノとかバイオリンを自分でも演奏しないといけないのか? 

 これがほかの趣味、例えば阪神タイガースを半世紀近く応援してきたとか、最近は西武ライオンズのファンクラブに入ったとか言っても、「ええっ、すごいですね。野球をプレーするんですか?」と聞かれたことは一度もない。

 そもそも楽器を弾くことにはあまり興味はなく、むしろクラシック音楽の鑑賞にはデメリットになると私は考えている。

 楽器を自分で演奏して上を目指すとなると楽器や部品、レッスン、発表会の衣装などにかかる費用が青天井になる。結果として一流オーケストラのチケット代に回せる予算が減る。

 しかも中高年で始めたところで、有名なプロの域に達するのは不可能だろう。せっかく素晴らしい演奏を聴きに行っても「ああ、自分はダメだ」と思ってしまうことが容易に想像できる。

 むしろ客の立場に徹して高みの見物をすることによって「やっぱベルリンフィルとウィーンフィルは別格だな。日本のオーケストラは話にならない」「ティーレマンはすごい。ブラームスならペトレンコよりはるかにいい」といった、高レベルの演奏のレビューを純粋な気持ちでできる。

 私も若い頃は日本のオーケストラも楽しめたのだが、欧州で演奏を聴く機会が増えてから、もはや日本の演者では満足できなくなった。ほとんど欧州への留学経験がなく、日本に閉じこもっている二流、三流演者たちはプロ意識や常識に欠ける発言や態度も多い。

 なんちゃって感と言えば、米国ドラマ"And Just Like That..."(Sex and the Cityの続編)で主人公キャリーが「日本から送ってもらった着物」を着て寿司を食べるシーンがある。なんだよこれ、と思うほど趣味が悪い。日本のクラシック音楽コミュニティはこれと相似の関係にある。

 だからこそ樫本大進さんは10代前半でドイツに渡り、HIMARIさんも自分に合った海外経験を積んでいるのだろう。やはり欧州のクラシック音楽は欧州が本場であり、日本のクラシック音楽界隈は寿司で言えば、エビフライとアボガドをネタにしてソースで味つけしたカリフォルニアロールに過ぎない。

 楽器演奏の話に戻ると、そもそも誰かが作曲した楽譜通りに演奏するという点において非常に受け身なプロセスであり、それも私は好きではない。料理にしてもレシピを見てその通りにやるのではなく、食材を買ってきて素材を生かす方法を自分で考える調理しか私はやらない。レシピを使った料理は油や砂糖が必ずと言っていいほど出てくるので、調味料を使いすぎてかえって不健康になりがちだ。ただ外食をしておいしかった際に、食材の組み合わせや盛り付けを自宅でも真似してみることはある。

 クラシック音楽鑑賞の仕方も、おかしな調味料を加えることなく、自分の好きな作曲家がインスピレーションを得た場所という新鮮な食材を仕入れてそのまま味わう。あるいはベルリンフィルやウィーンフィルといった一流シェフの料理を堪能するのが醍醐味だと思う。

 このため「楽器を演奏するんですか?」と言うのは愚問なのだ。